父のアルバム 9


081.
小学6年生のクラスメート

私たち昭和22〜23年生まれは昭和34年の伊勢湾台風のため6年生の教室が倒壊してしまい、
浜島中学校の教室を間借りして勉強をしていた頃の写真で、 それまで昼食は家に帰って食べ
ていましたが、弁当を持って通学するようになりました。                .


新校舎が完成するまでに昭和22,23,24年生まれの学童が中学校で勉強して、24年生まれの弟
は途中から新校舎で勉強したと記憶しています。                    .

私たちの時代はクラス全員の記念写真のほかは、女生徒と一緒に写真に入るなどと云うことは
めったになく、この写真がどのような事情で誰に写してもらったのか全く記憶になく、たぶん
先生の誰かが写してくれたのでしょう。私のアルバムにある娘が学校等での写真を見ると、小
学校から大学までどれもかも男子とダンゴになって写り、その手は必ずお約束のようにピース
をしています。                                   .

写っているのは修さん、文俊さん、要さん、秀行さん、哲央さん、志仁さん、そして私で後ろの
二人の女性は64でも紹介しました左が西飯美也子さん、右が柴原恵子(よしこ)さんで両人とも
近所の岩崎にお宅がありました。場所はたぶん浜島中学校運動場の最東端で舟は中学校所有の和
船だったかと思います。                                .

写真の左手が菅田で二つ目の護岸堤の奥に丸い形をした我が家の田があるはずですが先日、護岸
堤の上まで行って見ましたが雑木で阻まれ奥へ入っては行けませんでした。背後の海岸は田杭浦
でその後方は現在の汐見成だと推測しますが、当時は道路の奥は谷に沿って汐止めの溜池と田ん
ぼがあるだけでした。                                 .

以前にも書きましたが私はこの地を汐見成と呼んだ記憶は無く、姪が住んでいると聞いても場所
がわかりませんでした。汐見成団地の信号を少し浜島方向に行った道路の西側は段々畑で山に上
り、東側は深い谷になっていて降りてゆく道があり下は田んぼになっていましたが、今は埋め立
てられて住宅地になっています。                            .

この中学校の周辺は菅田、広見、田杭などと呼ばれていますが、すべて塩屋地区だと母から教えら
れました。勿論、現在の汐見成団地も。                          .



082.
小学6年生の同窓生


この写真も誰に写してもらったのか覚えていませんが、場所は背景からたぶん浜島中学校
だと思いますが、もしかしたら岩崎の海岸かもしれません。             .

私たち浜島中学校第16回卒業生は世話人の懸命の努力により、40歳のとき山崎先生、
作田先生、山下先生を、50歳のとき山崎先生、作田先生をお招きして同窓会を開催し
ました。しかし卒業生全員が集うには程遠い状況ですが、それでも有志が集まり 「十六
夜会」 なる親睦会ををつくり、周期的に集まって旧交を温めているとのことです。  .

中学校卒業時に担任だった作田先生が言った 「友達を大事にするように、この中でもう一生会
えなくなる人もいるのだから」 と話された言葉がまだ頭の中に残っています。すでに同窓では
昭和29年3月オーストラリア西方海域での第3幸喜丸の遭難により二人亡くなられ、また病気
により数人の方が鬼籍に入られたと聞きおよんでいます。                .

写真左から哲央さん、嘉市さん、博文さん、正彦さん、薫さん、正守さんと前にいるのは私と
阪東の稔之さんで、彼には悪いのですが運動能力に劣る私が徒競走でドベをとらずに済んだの
は、ひとえに彼のおかげでした。                           .

哲央さんはお父上様が銀行マンで転勤が多く、途中で転校してきて私と容姿がよく似ていたよ
うで、母は間違えて呼び止めたことかありました。またお父上様は私の長姉が結婚する時に仲
人の労をとっていただきました。                           .

嘉市さんは田岡伸さんとマラソンが得意で、博文さんはみなもと屋食堂の弘和さんと共に一番
気が合う友で、正彦さんとは盆踊りで会い互いの父の遺稿本を交換しました。稔之さんの家は
映画館浜島座を経営していました。                          .



私ども浜島中学校第16回卒業生は団塊の世代真っ只中に生まれ、同級生は200人近くいて
40歳、50歳、60歳と同窓会を世話人や幹事の努力により挙行してきました。65歳になる
2012年にも51人が参加して同窓会を行いましたが毎回人数が減少するばかりで、とりあ
えず今回で区切りをつけようとのことでしたがほとんどの人が継続を望んだため再考する
ことになりました。                               .
この写真の博文さん(一番仲の良かった)、薫さん(伊勢型紙製作では一流の腕前)も参加しま
したが、残念ながら正守さんと稔之さんは亡くなりました。田岡伸さんもなくなっていま
す。                                      
.



083.
昭和の初め頃の志摩郡陸上競技大会記念写真

大正8年生れの母は尋常高等小学校時代に身体も大柄で足が早く、志摩郡の陸上競技大会
に何度か出場したそうで、長兄と弟は母の能力を引き継ぎ足が早かったのですが、私は残
念ながらその恩恵には預からず後から数えるほうが早い位置を何時も走っていましたが、
どうしたことか小学校上級生のときに障害物競走では、二度ほど一等を取ったことがあり
ました。                                    .
 
二人の姉はどうだったか聞いていませんが、次姉の通信簿を見たことがありますが殆どの
学年でオール5だったので、たぶん次姉も足が早かったのでしょう。一度父と弟の三人で
長兄が出場した郡の陸上競技大会を見に鵜方の文岡中学校へ行ったことがあるので、母の
この写真も文岡中学校の校庭かも知れないと思っていましたが、母に尋ねたところその場
所を覚えていて和具の志摩水産学校 (現志摩水産高等学校) の運動場だったそうです。 .

母は生来髪の毛が太くて多かったため走るときに邪魔になると、当時の校長先生から後頭
部の髪を切れと言われ、その部分をもとから切り周りから髪を束ねて後で縛り、わからな
いようにしたと言っていましたが、今の時代に女生徒にこのようなことを言ったら人権蹂
躙だと大問題になるでしょう。                          .

何時も同窓会に京都府長岡京市から参加されている谷水總雄さんから、この写真について話
があり中央の先生の左にいる詰襟服の生徒が自分の父親であるとのことでした。     .




084.
昭和初期の学生服 1/2


大正8年私の父は浜島尋常高等学校を卒業後、昭和4年に宇治山田市の私立井上速算学校に、
引き続き私立商工実務学校に入学し簿記や測量を学んだそうで、その頃の生徒の姿がうかが
われますが学生帽に和服と袴姿が多かったようで、写真では圧倒的に和服の生徒が多く写っ
ています。                                    .



   
085.
昭和初期の学生服 2/2


同じく私の父が宇治山田市の井上速算学校在学時と思われるニ態で、当時の詰襟学生服
は黒ではなかったのか、それとも夏冬での違いでしょうか。私は小さい頃によく似た白
地に黒か紺の霜降り状の学生服を、誰かが着ているのを見たことがあります。    .




 
086.
父の出張 1/6


私の父は職業柄、東北地方への出張が多く気仙沼や仙台、女川、塩竃や石巻等へ出かけたの
を覚えています。それは水産試験場の調査船が各港に入港するのに合わせての出張でした。

左の写真は気仙沼港でたくさんの鰹が水揚げされていて傍に立っているのが私の父で、85
の少年時代の写真と比べると頭も薄くなりその変わり様といったら…。         .

右の写真は気仙沼市街とのことです。現在とは相当おもむきが異なっていると思いますが、
左端の商店はマルミツ洋服店、婦人子供紳士作業服一式仕立等の看板が読めます。この写真
は浜島とは直接関係はありませんが浜島出身の方で東北地方に居住している人が居るかも知
れませんので選びました。                             .

また父は気仙沼のことを「けせんぬま」ではなく「きせぬま」と言っていたと記憶しています。何
時かこの写真を持って同じ場所を訪ねてみたい気もします。               .
 
父は出張になると必ず土産を買ってきてくれました。私には何時も江戸川乱歩の少年探偵団の全
集を一冊ずつ買ってきてくれ、全部で十冊以上ありましたが50年も前のことでもあり、今はもう
処分されたのか実家が解体されるときに探しましたが、見つけることができませんでした。大事
に保存されていたらプレミアが付いたかも。                       .

明智小五郎と小林ヨシオ少年 (名前の漢字は忘れた)と少年探偵団、怪人二十面相の闘いは痛快こ
のうえありませんでしたが、ある時父が買ってきた江戸川乱歩作の 「緑衣の魔人(緑衣の鬼?) 」は
、子供には少々刺激の大きい作品で父も「これは間違えた!」と思ったかもしれません。そうそう作
者の江戸川乱歩は三重県名張市の出身で、その数多くの作品は暗い土蔵の中で蝋燭の光を頼りに
書き上げたと聞きました。
                                 .







087
父の出張 2/6


この写真も86と同じく気仙沼市と書かれていますが、市内の名勝でしょうか私には
皆目わかりません。                             .

浮見堂 (気仙沼市HPより) 内湾の景勝地・神明崎を囲むように海上を通り、魚浜公園
と魚町を結ぶ浮見海道 (うきみかいどう)。その途中には滋賀県琵琶湖にある近江八景
のひとつである浮御堂を模した浮見堂 (うきみどう) があり、内湾を散策する際にはは
ずせないスポットとなっています。夜はライトアップされ、いっそうロマンチックな
ムードをかもし出しています。                        .

と気仙沼市HPに紹介されていますので、浮見堂だと思いますが…。       
.

 

 

どう云う縁があったのか私の一人娘は山形県人と
結婚し
米沢市に住むようになり、孫に会うため何度と訪ね平成
21年には気仙沼へも行ってきました。少々様子は変わ
っていましたがまさしくそこには浮見堂がありました。




088
父の出張 3/6


父のアルバムの写真説明では塩竃 (しおがま) 市内となっています。私はこの写真を見て
始め浜島の風景と勘違いしました。説明書きがなかったら昔の浜島と思ったかも…。  .

昔、元地の畑 (浜島小学校の運動場入口位置) から東を見ると風景がこのような感じで、
手前の入り江は那都可志から浦の浜で手前の街並は丸山地区、遠く海の向こうは大崎半
島にそっくりに見えます。しかし弁天島がありません。              .





平成21年の塩釜市塩釜神社境内より港の方向を撮影しまし
たが、年月の流れには勝てず確認するにはいたりませんでし
た。                         

訪ねた気仙沼や塩竃などの街は平成23都市3月11日の東日本
大震災で大変な災害に見舞われました。また宮古市の田老地
区にあった『民宿おばた』はこの時に宿泊しましたが、グー
グルの衛星写真で見ると津波が頑丈な堤防を乗り越えたのか
跡形も無い様子が写っていました。民宿のみなさまは無事だ
ったのでしょうか気がかりでなりません。被災地の一刻も早
復興を祈るばかりです。
             
     




089
父の出張 4/6


杜の都、宮城県仙台市の駅前風景だそうで正面の大きなビルは百貨店でしょうか、未だ
ビルの数も少ないようで道路には丸みを帯びたバスや乗用車に時代を感じます。   .


私は生憎仙台へは行ったことはありませんが、これが本当に仙台駅前なのかわかりませ
んが現在の駅前は東北随一の大都市であり、伊達六十二万石の城下町は大変な変わり様
だと察します。                                .

 そこで下の写真は
 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/2146/

上記ホームページ (写真@仙台02年11月) に掲載されている仙台駅前バスプールの写真で、
転載可能とのことですので一緒に貼り付けました。方向も場所も違うと思いますがビルが
建ち並び五十年の時代の変化は見て取ることが出来ると思います。          .


私の趣味の一つで城址を写真やビデオに残すのを四十年近く続けてきて、最初は津城で東京
(江戸城) より南の主な城址は殆ど廻りましたが、それより北は日光へ二度行った以外は訪
ねたこともなく全くの空白地帯です。退職後は時間も充分すぎるほどありますので体調を整
え、少しずつ廻ってみようと考えています。                     .


子供の頃に好きだった鯨望荘の屋根が黒レザー張りで、簿でぃがこげ茶色のツートンカラー
の自動車は、二台並んだ手前の車のような形をしていたと思います。写真ではわずかに旅館
とか青柳の文字読み取れます。                           .


仙台市も娘のおかげ??で東北各地と共に訪ねることができましたが、なにせ東北随一の大都会
で写真の面影を見つけることはできませんでした。                   .






090
父の出張 5/6


栃木県日光中禅寺湖の遊覧船乗場。
上記URL、日光中禅寺湖レストラン・民宿の『白樺』さんのホームページによく似た桟橋
の写真が掲載されているのを見つけました。(ワンちゃんをクリックして)しかし撮影位置、
方向も違うため同一場所と断定は出来ません。                   .

 
 
下の写真も平成21年に日光中禅寺湖へ行ったときに遊覧船乗場辺りで撮影した一枚です。
.雰囲気はよく似てますが同一地点かどうかは不明です。              



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2012.05.13.