浜島の石碑(05~10)

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浜島の碑 5

06 忠孝碑



旧浜島小学校の大運動場と小運動賞の境、宮山への登り口にあるこの碑は
私ども小学生が休憩時間に遊ぶ絶好の場所でしたが、これが何を意味する
ものかは全く知りませんでした。                  .
今、碑文を読んでみると旧浜島尋常高等小学校から国民学校における忠君
愛国、親に孝行を隣にあった奉安殿と共に教育のよりどころとしていたの
でしょう。                            .
碑が建立された昭和7年は前年に起きた満州事変を皮切りに日本は戦争に
突き進みだした時代でした。                    .



碑文(表面)

神代コノカタ日ノ本ノ國ノ光ニ彌エテ國ノ鑑ハ天津日ノ煇タカキリト
コシヘユ日本ヲ惜キテ他ニアラシ尖祖ノ教誠本トナラシタル忠孝ノ道
ヲ守リテ億兆ノ心ハ一ニ皇國ノ尊クモ亦美シキ徳ノ光ヲ萬世ニ傳ヘン
トヲ祈ルノミ八州ノ外ノ世界ニモ伊勢ノ神風吹ク限リ布及サン此徳ヲ
億畏クモ忠孝ヲ教ヘ給ヒシ皇神ノ我皇統ハ天地ト共ニ栄エテキュウナ
シ身應四海ニ浪一ツ立タヌ平和ノ礎ハ唯忠孝ノ一ナルヲ      .

                  陸軍大将 大迫尚道 篆額
                      福原和太郎 撰並書

碑文(裏面)
皇國日本・光輝ハ神代以来世界ニ比類ナキ我カ國ノ歴史ト之ツヲ一貫
セル忠孝一本美徳ニアリ而モ忠孝ハ日本ノ生命二シテ又カナリ然ルニ
近年漸ク忠孝ノ大儀・大節ヲ輕ンセントスル傾向見エ隨ツテ輕佻詭激
ノ風愈募リ思想益々悪化又惟フニ忠ノ大儀ヲ守ランカ今日ノ弊風ハ自
カラ改マリ人倫敦ク行ハレジン徳大ニ奨ノラルヘク以ニ叡
慮ヲ安ンシ
奉ルヲ得ンココニ謹ミテ明治節ノ佳辰ヲトシテ忠孝碑ヲ建立ス其目的
ヤ他ナシ唯忠孝ノ大儀ヲ遵奉シ共ニ応力實踐躬行ヲ期スルノミ   .

        昭和八年十一月三日 建立
              三重県志摩郡濱島町 寄進者 山崎俊一


因ニ本忠孝碑建立ニ對シ東郷元帥閣下及ヒ大迫大将閣下ヨリ御懇篤ナ
ル御言葉ヲ賜ハリ殊ニ大迫閣下ニハ八拾歳ノゴ高齢ニテ病気御静養中
ニモ拘ハラス忠孝ノ為ナリトテ押シテ篆額ヲ御揮毫下サレタルナリ眞
ニ光栄ノ極ニテ又感激惜ク能ハサル處ナリトス尚ホ本建碑完成ニ就イ
ニハ東京ノ福原和太郎先生ノ甚大ナル御盡力ト當町昭和會同士御一同
ノ精神的一致協力勞働奉仕ニヨル誤援助トニ對シ深甚ナル感謝意ヲ表
スココニ附記シ永遠ニ記念ス                  .

                       山田市 石友刻



浜島の碑 6

07 三界萬霊塔



浜島墓苑最上部への坂道をのぼり切ると、やすらぎ苑のある一画の
入口に立つ電柱の横に三界萬霊塔があります。         .

浜島の旧墓地はもともと目戸バス停の後の丘から、駐在所にかけて
南北に長くあり浜島墓苑が完成し移転するまでは、水産倉庫横の広
場で野辺の送りをしたあと埋葬されました。          ..
碑は昭和五十三年建立となっているので浜島墓苑はこの時期に整備
されたのでしょう。町営斎場「やすらぎ苑」は平成四年完成となっ
ていますが、私の祖父は昭和五十五年に亡くなり「やすらぎ苑」の
場所で火葬して埋葬されましたので、火葬は「やすらぎ苑」完成以
前から行われていたと思います。その祖父の火葬のときの話で喪主
であった父が火葬のスイッチを入れたところ、装置の故障か一向に
点火しない為やむおえず隣の炉へ入れ直して火葬し、参列の人たち
は「弥兵衛じいさん焼かれるのがいやなんや」とひそひそ話をして
いました。                         .
写真は浅間山中腹から写した旧墓地と新墓地の三界萬霊塔で浜島漁
協により建立されたと記されています。            .



碑文(表面)
三界萬霊塔




碑文(裏面)
山青く海碧りの町の西北景勝の地を卜し歴史ある旧墓地の古土廃砂を
此地に移し折々墓地を造成す仍って顧るに此の土砂には幾千萬の我等
祖先のみ魂が鎮まりませるものと思推し壱基の合祠の供養塔を建立し
以って千秋の下その精霊を慰め奉り萬世の下子々孫々に至るまでその
平和と繁栄との祈念所となさんと欲す冀くは墓参者一同此の塔下に香
花を供え以って永へに供養の福徳に浴されんことを至嘱し以って敢て
建塔の辞となすを云爾                     .

                   
    昭和五十三年七月吉日
               浜島漁業協同組合建立
                 組合長 松尾平三郎 敬白


 浜島の碑 7

05 水産試験場建築記念碑



-A・)vさんが知らせてくださった水産試験場建築記念碑です。旧水産
試験場における記念碑の設置場所について、私は全く記憶にありませ
んが一言居士さんによると                   .

記念碑についての記憶が甦りませんが正門の左手に小さな庭があった
と思うので、そのあたりにあったものでしょうか。       .


とのことで、水産試験場の歴史そのままに現在の三重県水産技術セン
ターの庭に移動してきたようです。また水産試験場ホームページによ
ると
                                                     .

本場舎は2年後の明治34年3月完成した。場所は浜島村大字浜島1782
番地。敷地面積は1606坪。建物は木造2階建128坪1階には製造室、
 事務室など、2階は陳列室であった。               .


と説明されていて岩崎新地全体がその敷地だったようで、その後、
浜島漁業会へ無償で払い下げられ区画整理後住宅地として払い下げ
られました。                        .

  
写真は私の父のアルバムに残っていた旧水産試験場と先日撮影した
建築記念碑です。それと碑には職員として八名の氏名が記されてい
ます。当初は八名で発足したのでしょうか。同じく水産試験場ホー
ムページによると、菖蒲治太郎この人は初代場長です。     .

 



碑文(表面)
水産試験場建築記念碑

碑文(左面)
関係人兼大工棟梁  永井平十郎
関係人       北井孫四郎
  同       福岡甚八 .
  同       大辻松蔵 .

石工        山本市松 .
土方頭       山崎伊太郎.
 記念碑周旋人    山崎保三  .

碑文(右面)
明治三拾四年六月一日
職員
菖蒲治太郎 中西英男  川端重五郎 柳生大三郎.
橋村英吉  山崎隆一  田村亀次郎 水谷甚吉 .




浜島の碑 8

08 慰霊(戦没者慰霊碑)



明治維新から第一次大戦、太平洋戦争にいたる戦争に従軍し戦死、戦病死され
た総計二百九十名の方々の霊を慰めるために、昭和四十六年は浜島墓苑東端に
建立されており、また、更にその東に一段下がり個々の墓碑がまとまって建つ
一画があります。                           .




慰霊

明治・大正の役
中村俊頴  山崎武蔵  佐藤市之助 山崎源助  上野武雄  森咸之助 .
 浜口半治郎 井上留吉  西飯勘助  谷水源三郎 岡本楠松  井上大二郎 .
井上善七  柴原弥之助 堀尾楠密  大西楠蔵  中村甚三郎 森岡甚助 .
中村東平  柴原増吉  柴原信雄                   .

昭和の役
浜島地区
岩本岩一  柴原兼雄  柴原喜多雄 柴原宗助  柴原國三  柴原清繁 .
 井上栄寿  柴原正太郎 柴原 勇  柴原徳行  柴原徳七  柴原楠治郎 .
柴原輝男  山本松三  山本粂男  柴原一雄  柴原三郎  新屋 清 .
山本粂善  柴原仙次郎 柴原 章  柴原楠大  柴原義友  柴原辻治 .
井上弥三郎 井上幹夫  井上楠雄  井上徳寿  岩本三郎  岩本敬行 .
岩本寿也  柴原伊三郎 柴原多美雄 柴原多都夫 柴原楠成  柴原長二 .
柴原賢一  柴原徳也  澄川 守  松崎楠信  山崎策男  柴原一行 .
柴原武雄  柴原政春  柴原興房  森 敏也  山本幸春  山本光男 .
山崎隆彦  井上清一郎 井上広孝  柴原八十吉 豊永七郎  井上美津夫.
柴原國平  柴原俊彦  田中坤二  谷水善助  谷水基之  堀江円次 .
森 俊也  井上重平  井上久雄  井上博夫  佐藤大一  竹内 勇 .
柴原庄太郎 豊永光吉  中村三郎  山崎俊徳  山本哲雄  山崎富栄 .
石川義治  岩本得也  酒川 謹  柴原貞男  水谷俊三  浜岡増吉 .
松尾文吾  山崎一二三 西飯和正  平野秀雄  平野楠治  和田茂一 .
和田保二  井上勝義  谷水金兵衛 谷水 寿  松岡市松  井上卯之助.
井上 清  大野光次  谷水平一  谷水喜一  松尾萬一  谷水紋也 .
谷水一幸  松尾俊平  松尾一雄  西飯多喜夫 西飯忠生  山崎治郎 .
井上甚吾  中村久吉  西田 博  橋爪慶二郎 松尾照男  山本暁生 .
久保正一  柴原康一  松尾壽郎  井上光男  岡本文也  谷水幸雄 .
西田馬三  西飯岩吉  浜口新栄  浜口富士弥 藤村楠信  横田為治 .
梅谷安兵衛 梅谷初治郎 唐木米蔵  柴原藤吾  竹内勘也  中村進一 .
浜地幸三  井上益友  小山賢三郎 谷口伴一  中村 功  中村久雄 .
橋爪一利  浜口俊雄  山田楠秋  山本慎一  山本 衛  井上勝義 .
井上平一  井上三郎  柴原善一郎 柴原勇夫  柴原芳虎  森 秀雄 .
山崎郁男  吉田愛助  田岡米男  時田嘉一  松尾正昭  山本奎二 .
山本 釞  松尾甚左衛門  末長久右衛門  伊藤佐治衛門  谷水金二 .
八谷友一  松尾勇治郎 松尾三代吉 山本松次郎 柴原治行  浜岡市蔵 .
浜岡光夫  万代菊蔵  大西良郎  柴原源太郎 水谷良一  松尾長平 .
森 弘   森 弘之  岡田政蔵  井上敏男  村田照雄       .

南張地区
橋本数多  磐田楠吉  磐田楠信  磐田 徹  江口光行  大西楠寿 .
大西 守  大西善志  小田保一  小田良治  小田規矩夫 小田文雄 .
 川口甚一  川口徳三  川面豊治  沢村楠秋  沢村楠博  小山亥之助 .
 杉浦耕三  鈴木茂成  中村繁夫  西井小一  西井 澄  西井幸之助 .
西井勝也  堀尾兵司  堀尾三代治 別当純吉  正木吉太郎 正木元男 .
正木松兵衛 村田増生  山本楠光  山本嘉正             .

桧山路地区
井野貞男   井上鯱夫   井上 勇   谷口 昇  谷口不二樹  谷口俊夫 .
名古源一   名古荘一   中村徳雄   中村 穀              .

塩屋地区
赤松与三郎 赤松敏夫   大西大弼  加藤正造  亀田勘七  形部正忠 .
小堀 務  小堀富久也  荘司 實  荘司茂樹  岨野俊一  東畑末雄 .
東畑 蛬  東畑正市   宮浦清吉  向井貞三  向井保雄  向井 保 .

迫子地区
上野久男  上野文男   上野 昇  上野英雄  岡野弥比知  上田義也.
岡野尢十五 岡野謹吾   岡野克定  岡野仲夫  岡野信繋重  岡野知平.
岡野豊人  岡野達郎   獄尾大自  中村正彦  中村忠二   中村忠士.

中村 潤  中村文一   中村 蒿  西喜美夫  浜口一生   森岡半蔵.
森岡愛博  山本大二   山本富穂  山本義正  山本 厚   山本富也.
和田六生  和田正直   山際熊次郎 中村吐花生 山本安右衛門     .



碑文(裏面)
此の碑は今日の平和な文化国家を建設する礎となり国難に無一身を捧げて殉した
明治維新より大東亜戦争に至る当町出身者諸氏の名を連ねて その功績を讃え霊
を慰むる為に之を建つ                          .
                       昭和四十六年十一月 浜島町



浜島の碑 9

09 英霊供養塔




里の寺である日向山極楽寺に戦後昭和23年に
太平洋戦争の犠牲になった英霊を供養するた
めに建立された。            .


碑文(表面)
英霊供養塔
南禅寺官長 兼○○ 書
昭和弐拾参年八月拾五日 建立

○印:判読不能



浜島の碑 10

10 表忠碑



宇気比神社社務所前に立つ表忠碑は大きな碑ですが、碑裏の碑文は長文で位置的
にも高所にあり判読は困難で、たぶん旧小学校運動場の宮山上り口に建つ忠孝碑
と同様の文章が刻まれているのではないでしょうか。            .

撰並書を担当している歩兵第五十一聯隊長小磯國昭は、山形県出身で太平洋戦争
中にサイパン島失陥で総辞職した東条英機首相に代わり首相になり、戦後A級戦
犯として東京裁判で終身禁固刑の判決を受け、のち釈放された。       .

昭和二十年の敗戦まで三重県には郷土聯隊として津(久居)に、歩兵第三十三
(中部三十八部隊)と歩兵第五十一聯隊があり、私の父も昭和十五年臨時徴集で歩
兵第三十三聯隊に入隊し出征後大陸では歩兵第五十一聯隊に配属され遠く南方ビ
ルマ(現ミャンマー)でインパール作戦に従軍しインド国境まで行ったと遺稿に綴
られています。                             
.




碑文(表面)
表忠碑
元帥陸軍大将子爵 川村景明 書


碑文(裏面)
大正十三年二月二十三日
歩兵第五十一聯隊長 小磯國昭 撰並書



浜島の石碑へ

2012.2.13.