浜島の石碑(17~23)

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浜島の碑 17

17 目戸海岸 ありそ句会二十五周年記念碑



目戸海岸の堤防と国道260号線の間の小公園に浜島の俳句を愛する
人々の会(ありそ会)が、昭和二十七年に結成されてから二十五周年
を記念して昭和五十二年に建立された碑があります。      .

碑表には、ありそ句会の主宰で浜島町俳句教室講師の眞岡秋汀子
氏の一句が、碑裏には句会員43名の自薦句が並んでいます。  .




碑文(表面)
初凪の一村鳶の輪の中に 秋汀子




碑文(裏面)
ありそ句会二十五周年記念
 硝子器に子鮑育ち端午来る     眞岡秋汀子
サルビアの燃えて聞ゆる祭笛    井上踏青
風花やひん曲りたる塩干魚     中村恒石
 窓近く老子を註し梅雨籠る     大野木洪道
惜みなく犬初霜を駆け散らす    山本一風
背をまるめ船虫石の坂ころぶ    井上 直
山眠る波蝕大地に櫓音来て     中西緑双
海光を横ざまにして石蓴干す    森行々子
花冷えの岬にのこる海の史話    井上博暁
空瓶に夏の疲れのある良夜     井上米握
流星にあふ野の道の草ねむり    林 岬松
灯台に続ける炎砂荒布干す     柴原憲史
凍土のバサッと落ちて句意を断つ  川口流舟
名月に旅の貌して海望む      水谷冬波
靴はけば尚余寒あり月曜日     中村碧洋
炬燵に来て妥協のきざしある意識  井上麦秀
人住む灯低きにありて良夜なる   松平知寿
浜石になづみて冬の日が遊ぶ    向井連峯
盆太鼓遠くにありて詩が生きる   塩崎歩水
夏帽子歩幅揃えて海に出る     森 達惠
青廉老ひの生活に雑誌売る     山本新三
花邊青年海の声してり       峰 夕波
 募るゝまで鳶凍天を傾むけて    奥村美保子
 工事音春の息吹を太くする     山本かほる
 海鳴りのとどきて松の芯揃ふ    福村志けか
水底にうごめく影あり水温む    山本泊子
海女舟に慣れて浮寝の通し鴨    柴原匠子
 浮燈台青くゆらして良夜なり    上出喜代子
音色なき吾子の口笛夜来る     柴原楽子
 船神輿練り行く街を海として    柴原まさや
春潮を蹴り上げて海女の忍者めく  山崎正子
月のぼる海坂巨船ゆっくりと    森すみゑ
海女小屋の傾むく●くに●夏済む  田辺てい
新春を背負いて配る郵便夫     柴原秋波
波たちの磯●脇に春の雨      吉田暁光
アイリスの色増す●の曇りつゝ   中村和子
稲刈りに追われて蝗逃場なし    谷口吉宏
朱の鳥居潜り来る盛夏●す     柴原栄宏
 太陽がぎらぎら海にある厄日    井上美喜代
 明けの声湾に落ちして寒鴉     柴原志奈枝
沈丁の香に棟上げの人集ふ     山本みき
 女来て寒の●●へ詩を吟ず     柴原さくゑ
えび祭終りし港梅雨に入る     森田幸利

結成 昭和二十七年十二月
建立 昭和五十二年十二月
ありそ会主催
浜島俳句教室講師 眞岡秋汀子

●印は判読不能、また一部文字に誤記の恐れあり。



浜島の碑 18

18 里の寺 大矢の寺



浜島地区には里に極楽寺、大矢に龍江寺があります。極楽寺の卵渡場は
寺院内にありますが、龍江寺のそれは少し離れて薬師堂のまわりにあり
ます。                             .
里の寺
碑(表面)
臨済宗南禅寺派 日向山極楽禪寺

大矢の寺
臨済宗南禅寺派 瑞雲山龍江禪寺




私事ですが井上の卵渡場(卵塔場)は薬師堂の一番西の道路にのぞみ石垣に
囲まれた一等地にあります。これは祖父の弟が日露戦争に従軍し数え二十
二歳で戦病死したためにその功績により、この場所を貰ったと聞いていま
す。戒名には院号がついていて、浜島墓苑 慰霊 戦没者慰霊碑の明治・
大正の役の二十一名の中にその名があります。このように戦前は国家に殉
じた人々は戒名に院号を戴き、墓地も特別扱いされたようです。    .

碑(表面)
浄心院節道惠忠居士

碑(左面)
明治三十六年十二月以陸軍現役徴而在千第三師圑團
日露當開鶯自奮日正報國之秋也己編入野戦隊出征
在近焉不幸病而斃於名古屋病院生享年廿二歳  .
           明治三十七年旧八月十日

碑(右面)
故陸軍工兵二等卒 井上善七碑

碑(左面)の碑文については誤字の可能性あり。



浜島の碑 19

19 浜島墓苑 浜島有縁無縁墓碑



浜島墓苑最上部、№2で紹介した鹿港丸殉難者之碑と重なるように、
その前に建っているのは浜島地区の有縁無縁の先人の墓碑で、後方に
は供養されることのなくなった無数の墓碑が並んでいます。    .




説明
浜島町浜島区有縁無縁之墓




浜島の碑 20

20 目戸史跡濱島古墳碑



目戸山の旧観光ホテル南風荘中庭にある浜島古墳はホテルが営業を止めて
以来、荒れるにまかせて今は見る影もなくなっています。       .

写真左は2004年6月に撮影し、写真右は2005年6月に右側から撮影したも
ので一年で更に雑草、雑木が茂り碑自体が見えにくくなっています。  .


碑文(表面)
史跡濱島古墳




一連の写真は浜島七号古墳で、左は現状で碑の左奥の建物の横に辛
うじて穴の一部が見える程度です。中と右の写真は五十年ちかくも
昔に、父に連れられて何度も出かけ七号古墳(通称鬼のガロ)の前で
弟と二人で写されたもので、現状と違いまわりは綺麗に整備されて
いました。また周辺は公園になっていてブランコ等の遊具もありま
した。                           .




浜島の碑 21

 21 岩崎 築地記念碑



現在、浜島診療所裏の海岸道路に海に向かって立つ岩崎築地記念碑
は、元々一文寿前の今は時計台の立つ場所に立派な台座をこしらえ
建っていました。                      .

私もこの場所でよく遊びましたが、一言居士さんに指摘されるまで
記憶の外にありました。岩崎地区の土地造成工事は明治三十年から
三十一年にかけて実施されました。岩崎新地は当初は三重県水産試
験場が建設されましたが、昭和八年に水産試験場が城山下に移転し
たあと、浜島漁業会へ無償で払い下げられ区画整理後に住宅地とし
て払い下げられたそうで、その経緯もありこの地区は碁盤目状に道
路が交差しています。                    .

碑文(表面)
築地記念碑




碑文(右面)
三重縣志摩國英虞郡濱島村大字濱島
区長  山本善助
区吏員 山崎林七
 同  井上勇助
 同  山本桂蔵

区會議員
 山崎武平  井上篤三  柴原順三 山崎勘兵衛
森新五郎  山崎作治郎 山崎仙助 山崎倉助
岩本庄之助 柴原豊三           .

碑文(裏面)
明治三十年 十月起工
明治丗一年十一月竣工
埋立工事取締人 山本善助
 同 副取締人 岩本利吉

埋立工事憺當人
山崎林七  井上勇助  山本桂蔵
山崎武平  
山崎勘兵衛 柴原順三
森新五郎  岩本庄之助 柴原弥吉


碑文(左面) 判読不能

埋立工事憺當人(担当人)の中には私の曽祖父にあたる柴原弥吉も名を連ね
ているのが見られます。この人は元々伊勢川崎の商家の子でしたが、当家
に養子に入り大変商才のある働き者で、朝の暗いうちに浜島を出立し徒歩
で松阪まで出かけ反物を仕入れ、その日のうちに帰宅し呉服屋を営み大変
財を成したと聞いていますが、晩年は失明し孫娘(私の叔母)の肩につかま
り歩いて友達のこすま屋などへ出かけたと聞いています。       .




浜島の碑 22

22 丸山 築地記念碑



丸山地区(旧浜島町役場前の両一方通行道路付近)の土地造成埋立工事は、
大正十二年から十三年にかけて実施され、私の井上の家も祖父がその一角
を購入し龍江寺の北側高台の狭い家から引っ越したそうです。その祖父の
井上善六の名前が現区吏員り中に見られます。            .

この造成工事を記念して建立された碑は現在浜島支所左奥に設置されてい
ますが、元々は岩崎築地記念碑と同様の形をしていたと一言居士さんにご
教授いただきました。大正十二年は浜島に初めて電話が開通した年です。




碑文(左面)
区長 山本桂蔵

区吏員
濱口松太 井上市之助 岩本庄之助  柴原彦三

区會議員
井上戔七  山崎勘兵衛  濱口松太郎  岩本伊助
岡本源吉  森新五郎   柴原順三  井上市之助
井上千吉  谷水栄二郎  谷水●●郎      .

築地委員
山本桂蔵  谷水惣作 濱口松太郎 井上市之助
岩本庄之助 柴原彦三  森新五郎  
井上千吉
谷水栄二郎 山崎仙助            .

現区吏員
山崎勘兵衛 岩本庄之助 柴原勘栄門 松尾平兵衛 井上善六

碑文(裏面)
建築委員
井上友蔵 井上楠太郎

●印は判読不能





碑文(右面)

濱島村岩崎築地完成…三重縣水産試験場…
以下判読不能

大正十二年十月

「浜島の碑」は今回の№22をもちまして終了とさせていただ
きます。スペースを提供していただきましたスコールさんに
は、改めまして御礼申し上げます。また、貴重な情報を頂き
ました一言居士さんと-A・)さん有難うございました。  .

浜島地区に限定し月に1~2度帰郷し石碑等を調べるのは最早
限界で、まだまだ人知れず草叢に埋もれた貴重な石碑がある
と思います。旧浜島町の他地区の石碑についても、どなたか
調べてSWSに投稿していただければ嬉しく思います。   .

スコール 2005年7月21日(木)11:34
井上さん、ありがとうございました。引き続き、まだまだ
人知れず草むらに埋もれた貴重な石碑につきましては、地
元の皆様のご協力を期待したいですね。私も気がつきまし
たら、投稿したいと思います。これからも、よろしくお願
い申し上げます。                  .



浜島の碑 23

23 奥山池築造記念碑

 

碑文(表面)
奥山池築造記念碑

三重縣知事 従四位勲三等 市村慶三 書



碑文(裏面)
着工 昭和三年 七月
竣工 昭和五年十二月

 一、金参百円 小田太一郎
一、金弐拾円 小田楠吾
  一、金弐拾円 川西権右ヱ門




浜島の石碑へ

2011.11.03.