井上工房 模型

陸  海  空

 私の模型製作歴は、小学何年生だったか夏休みの工作で木製の戦艦大和のキットを作ったのが最初でした。 それは今から思うと滅茶苦茶な出来栄えでしたが、この種のものは他に見当たらなかったためクラスで話題になり、次の年には何人かの男生徒が模型を出しました。その中で「みなもとや」の弘和くんの重巡洋艦「那智」は見事な作りで、私も重巡洋艦「愛宕」を作りましたが父から軍艦は水色だったと聞きエナメルを薄めずに塗ったため、中々乾燥せず失敗作で負けたと悔しい思いをした記憶があります。

 プラスチック模型で最初に製作したのは今は無き「マルサン商店」の「三式戦闘機・飛燕」でその飛行機は垂直尾翼がヤケに太かった記憶があり、また、この飛燕(ヒエン)と戦艦比叡(ヒエイ)の漢字が読めない年齢でした。同じく「マルサン」のアメリカ戦闘機P-38ライトニングも作りたかったけれど、高価すぎて少ない小遣いでは手が出ず悔しい思いをしました。                                 .
 当時浜島では「コスマヤ」と「マスミ」の二軒で模型が売っていて、「コスマヤ」のショーウインドに飾ってある大きな戦艦長門の模型を店のおじさんに尋ねると、いつも戦艦大和だと言っていました。それか五十年間尾鷲市、津市、名古屋市、桑名市などに住みながら模型を作り続けましたが、残っているのは百分の一もなく引越しの度に知人に譲ったり捨てたりして、今思うと惜しいことをしたと後悔しきりです。        .

 昨今は欲しいキットはネット販売で簡単に手に入れやすくなったのですが、私など1/150や1/100の廉価な飛行機模型を入門キットとして小遣いで買えましたが、最近はすばらしい出来のキットが沢山出ていますが模型キットの高価すぎるのにはあきれてしまいます。子供が小遣いで買うことが出来ず、これでは模型人口が減少するばかりで、キットが売れなくなりメーカーの倒産と悪循環が止まらず残念です。                 .

 ここで僅かに残ってる模型もそのうち無くなってしまいそうなので、人に誇れるほどの作品ではありませんが、写真に撮り陸(戦車)、海(艦船)、空(飛行機)に分け掲載します。 また、模型情報誌「モデルアート」にも創刊直後に投稿した戦車のМ−4やキングタイガーが掲載されたり、最近も2009年11月号のショーケースにスクラッチの二等駆逐艦「初桜」、海防艦「鵜来」、二等輸送艦が小さい写真ながら掲載していただきました。
 



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2011.11.21.
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