きままだより 31. | きままだより 32. | |
白いブランコ PTAで知った人の中にも、「忘れ難い人」が何人かある。その一人 Hからの返信に「さて、白いブランコの件ですが、よくぞ覚えていて 下さり感激です。この曲は私の青春時代の曲でとても大切にしてい る一曲です。歌詞がとても好きで子供の頃の淡い恋心を思い出さ せてくれます。マイクを握る機会があるときは必ず唄います。私の 十八番でもあります・・・。」 Hさんの素敵な 「白いブランコ」 を聴いたのは二十年前にもなる。 その後のHさんは、若さとナイーブな心を失うことなく、家業と町議員の ほか○○太鼓のリーダーや獅子舞の笛の名手など八面六臂の活躍を されている。彼の活力のもとは?彼の人間力であろうが、取り立てて言 えば夫婦愛と多くの友情の絆であろうと思っているが・・・。 |
先日、Y君から暑中見舞いが届いた。「仕事のあるのを感謝しな がらガンバっております。」そして、「何ごとのおはしますかは知らね どもかたじけなさに涙こぼるる」の歌が書き添えてあった。 なんで西行の歌なのか、電話で聞いてみると、「子供の頃、浜島の 宮山に、西行の歌碑があったので、西行の歌になんとなく・・・る」 とりこと。さっそく所在を調べてみると、彼の記憶どおり「歌碑」は ホントにあった。 「はなれたる しららの浜の沖の石を くだかで洗う 月の白波」 の歌碑である。Y君は大学卒業後もそのまま東京に留まって、還暦 を過ぎた今も税理士事務所を経営している。半世紀近く異郷で生き 抜いてきた彼の現在の心情が伝わってくるハガキだった。そこで、 今回は 「西行の山家集」から興味を惹かれた数首をあげてみた。 @北面の武士を捨てて二十三歳で出家して、漂泊歌人として生 きた、の代表作として。 ・願わくば花の下にてわれ死なん そのきさらぎの望月の頃 ・心なき身にもあはれは知られけり 鴫たつ沢の秋の夕ぐれ ・なげけとて突きは物を思はする かこちかほなるわが涙かな (百人一首に) A伊勢には「西行谷」「西行庵跡」あり。(芭蕉も足跡を辿って何 回も伊勢を訪ねている。) ・深く入りて神路のおくを尋ぬれば また上もなき峰の松風 ・さやかなる鷲の高嶺の雲ゐより 影やはらぐる月よみの森 ・浪越すと二見浦に見えつるは 梢にかかる霞なりけり B平安から鎌倉初期の西行さんは噴煙の立つ富士山を眺めな がら旅をしていた。 ・風になびく富士の煙の空に消えて ゆくへも知らぬ 我が心かな |
きままだより 33. | きままだより 34. | |
栄冠は君に輝く (全国高等学校野球大会の歌) 「♪・・・ああ栄冠は君に輝く・・・」 と歌いながら、大沢親分と、 張さんの登場!。去る8月30日放送の 「サンデーモーニング」 の 画面です。( ぼくは関口宏の名司会と球界のご意見番ゆ各界の名コメン テーターがそろったこのテレビ番組が好きで毎週日曜日の朝の楽しみ にしています。 ) その日は、高校野球の総括が中心で、決勝戦ー中 京高校と日本文理高校の熱戦を取り上げて両校に 「あっぱれ」 の シールが貼られました。9回裏、2アウトから5点を返して1点差まで 猛追した日本文理高校の粘りで、球史に残る決勝戦となりましたネ。 ところで、「栄冠は君に輝く」は夏の高校野球大会にふさわしい名曲 です。開会式で演奏されると、一緒に口ずさんでいる方も多いのではな いでしょうか。昭和23年に朝日新聞が募集した5252編から選ばれ たものです。応募は妻(婚約者のとき)の名前を使ったので「中村道子作詞」 となっていたが、20年後の昭和43年になって本人が告白して「作詞 加賀大介」と改められたそうです。この歌にも誕生の秘話があったのです。 |
四季の歌 「四季の歌」は、日本の名曲百選の26位にランクされています。 この歌を知らない知らない人は誰もいないと思いますが・・・。 荒木とよひさが、また日大在学中に、作詞作曲したそうです。春、 夏、秋、冬の順に、友人・母親・恋人・父親の理想像を若々しく優し い曲で詠いあげたいるのが、誰からも愛唱される所以である、と言 えそうです。(所以や所謂は、「未曾有」を読めなかった麻生さんに は読めるかな・・・。) 中日新聞の「童話の風景」、朝日新聞の「うたの旅人」など「歌 物語」の連載を時々読んでします。7月4日付けの 「うたの旅人」 は、「望外の生命力を帯びてー荒木とよひさ作詞作曲 『四季の 歌』ー」 として、2ページらわたって、彼の生い立ちや「四季の歌」 誕生の事情などくわしく書かれています。 (お読みになっているでしょうか。) これまで、荒木とよひさは、テレサテンやアグネスチャンなど若い 歌手向きの作詞家だと決め付けていました。また二十歳あまりも歳 のはなれた神野美伽との結婚へのやっかみ半分もあって、馴染め なかったが、四季の歌の作者と知ってからは、親しめる作詞家の一 人となっています。 |
きままだより 35. | きままだより 36. | |
青葉の笛 「きままだより」 を届けに、時々、近くのAさんを訪ねるのは楽しみ です。いつも一言二言感想が聞けるからです。「豚もおだてりゃ木に登 る」 の類でしょうか、「きままだより発行」 にまた頑張る僕です(笑)。 Aさんは僕の俳句の師匠で、もうすぐ90歳になられます。(かにかく に 夫爽やかに逝きしかな) 〈うからら去り 遺影と二人 障子澄む〉 二十年ほど前に、萬緑同人の先輩でもあった夫君を亡くされてからは 「句会の運営」 も引き継いで、俳句を続けておられます。 〈花合歓や 志摩路海見え 海かくれ〉〈サーファーの 高波にこそ しなやかに〉、十年ほど前、僕もお供した志摩方面への吟行のときの Aさんの作品です。若々しいセンスあふれる句作に感心させられどうし でした。精神的にも身体的にも 「しなやかさ」 とある種の 「強靭さ」 を持ち合わせているのかなあと思いました。白寿、百寿になられても模 範句をと、願っているのであります。 そのAさんから、植物や鳥類の漢字名(例・薔薇、鴛鴦)、とか 「青葉 の笛」 の (箙=えびら=矢入れ)なども教えられ、一緒に口ずさんだこ とも忘れられないことです。大好きな歌ですから。 「青葉の笛」 は 「敦盛=笛の名手と忠度=歌人」 の平家の武将の 悲話が胸に響いてくる名曲ですね。昔の小学校では劇や学芸会を盛り 上げたように記憶しているのですが・・・。 ※あつもり・ただのり ※きんだちあわれ ※ふくるよわにかどをたたき ※わが師=藤原俊成 |
人を恋うる歌 「歌は世につれ世は歌につれ」 といわれます。「人を恋うる歌」は 明治四十年ごろから広く歌われて、百年も歌い継がれてきました。 明治時代の若さとロマンと向上心が大正、昭和の若者にも通い合う ものがあったのでしょうか。昭和一桁の僕らの間でもよく歌われた ものです。 今回はこの歌について、幾つかの話題をあげてみます。 1、 「ダンテ」 と歌っていたのに、「コレッジ」となっている歌集も あり、驚いた。 2、 歌詞は4番で完結と思っていたのに、16番まであるのにも驚 いた。 3、 与謝野鉄幹(本名・寛・明治6−昭和10)が日本人学校の教師 時代(在韓中)にこの歌を作った。 (25歳) 4、 「君死にたまふことなかれ」 の詩や 「柔肌の熱き血潮に触れ もみで寂しからずや道を説く君」 の短歌で有名な与謝野晶子は 三度目の妻だった。 5、 三高寮歌とも言われる。名曲は男性にも女性にも愛唱されるの だと、改めて意識させられた。 6、 「作曲 奥好義」の説あり。 |
きままだより 37. | きままだより 38. | |
琵琶湖哀歌 先日、伊勢郷土会 (出張例会) で,大津市の寺社めぐりをした。 バス内でも事前学習の解説が長く、堅苦しさはあったが、目的の園城 寺、日吉大社、延暦寺の社殿・堂塔を詳しく見て廻り、有意義な一日 となった。三井の晩鐘、西国十四番札所の秘仏、日吉大社の東西本 宮本殿、根本中堂の不滅の法灯などが印象に残った。 比叡山ドライブウエイを走るバスから琵琶湖を眺めているうちに、 「湖国近江」、「近江八景」「琵琶湖哀歌」などの言葉を思い出した。戦中 戦後の頃に、多感な少年期だった僕は、軍歌だけでなく流行歌、俗曲、 詩吟、叙情歌、浪曲、映画説明など何でも興味をもった。 「七里ガ浜哀歌」 「天国に結ぶ恋」 「琵琶湖哀歌」 は、その頃に 覚えたものだと思っている。 ♪ま白き富士の根、緑の江ノ島・・・ ♪あなたをよそに 嫁がせて なんで生きよう生きられよう・・・と 今でも時々歌うことがある。 琵琶湖哀歌は昭和十六年、旧制第四校 (現金沢大学)ボート部員十 一人の悲惨な遭難事故を悼んで作られた歌だったのですね。 |
富士の山 ( 明治43年 尋常小学読本唱歌 ) 今年もよろしくお願い申し上げます。 平成二十二年 元旦 本年もきままだよりが続けられるようにお互いに元気でたの しい日々が過ごせたらいいなと思っています。一富士、二鷹、 三茄子・・といわれますが、この一年は、どんな夢を持ちます かな。 |
きままだより 39. | きままだより 40. | |
喜びも悲しみも幾年月 「旧鳥羽小学校舎と菅島灯台が登録有形文化財に・・・」 の ニュースがありました。その一つの「菅島灯台」は明治六年に建てら れた。現存する国内最古のれんが造りの灯台で 「日本の灯台五 十選」にも選ばれているネウチモノで、島の宝であります。昔々、 菅島に三年間単身赴任したことがある僕の耳には、このたびの快報 に沸く島民の歓声が聞こえてくるようです。 灯台と聞けば、 「喜びも悲しみも幾年月」 を思い出す。木下 恵介監督の映画と主題歌は五十年たった今でも記憶に残る名作で すね、佐田啓二と高峰秀子が演ずる燈台守夫婦の生きざまと北海道 から九州までの灯台(安乗灯台もそのひとつ)の景観が感動とともに蘇 ってきます。 監督の実弟木下忠司の作詞作曲と若山彰の迫力ある歌いっぷりで 大ヒットした主題歌もぼくは大好きです。同じようなメロディーを 繰り返す易しい歌ですが、歌っているとあの夫婦の心情や神島や安 乗崎や大王崎の灯台のある鳥羽志摩の懐かしい海の景色が浮かんで きます。ホォークダンスにもよく合う曲だと聞いたことがあのます。 ご一緒にど うですか。 |
兄弟船 パールロードは、志摩半島の東海岸にあり、鳥羽と鵜方を結ぶ 絶景のドライブウエイである。沿道には海鮮料理自慢の旅館・民宿 が多く「海の博物館」 「志摩スペイン村」 「鳥羽展望台」などの観光 施設もあり、伊勢志摩国立公園観光の目玉の一つになっている。 鳥羽展望台は太平洋を見下ろす箱田山の山頂にあって、渥美 半島から大王崎まで、時には富士山まで見渡せる名所である。そ こに、地元出身の歌手・鳥羽一郎と山川豊の 「兄弟酒」の歌碑 がある。 鳥羽一郎(木村嘉平)は、鳥羽市石鏡町に生まれた。遠洋漁業 の船員、板前などを経て、歌手を目指して上京、カツオを片手に憧 れの船村徹氏の門を叩いた。三年間の修行をして、「兄弟船」でデ ビューを果たした。芸暦20年余、男の港・下北漁港・カサブランカ ・グッバイなどのヒット曲で、いまや演歌歌手のリーダー的存在であ る。その間、彼は海難遺児チャリーティー等の奉仕活動で6回も紺綬 褒章を受章している。「海の男」らして心意気だあろうか。 |