きままだより 61.〜64.
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 きままだより 61.  2012.1.  きままだより 62.  2012.2
  また君に恋してる                                
 
 「勇さんへ。八十三回目の誕生日おめでとう。入院中に迎えるのは 初め てだね。いくつものハンディーを抱えながら、雨にも風にも負けずに生きて いる父ちゃんです。これからも「きままだより」を続けたり、家族での一日旅など計画しよう。二人は口喧嘩しながら、なるべく長く人生を楽しみませ んか。自分達の花を咲かせましょう。                恵美子」

 
来年は『ダイヤモンド婚』。彼女から貰った初めての絵手紙の 文面です。自分 中心の亭主関白だったのに、ホントは、女房の掌 の上で演じてき た人生だっ たのか・・・、と思ってしまいました。                          
                               

 「また君に恋してる」は坂本冬美よりもビリーバンバンで聞くほうがすきです。こ の歌は、三和酒類の麦焼酎 (いいちこ) のCМソングとして作られたが、最近の演歌としては記録的なヒット作となったそうです。 好きな歌です。             

  「きままだより」で、新年のごあいさつ申し上げます。              



  志摩市の浜島町といえば、イセエビ祭り、弓引き神事、恵比寿大王と初笑 い、ツバスの鐘などで知られるようになったと思うが・・・。数十年前までは漁 業と真珠養殖に観光ホテルができ始めたぐらいだった。柴原姓が多く、屋号 で呼ぶのが一般的で、サボヤの先生と呼ばれていた。したがって、浜島を離 れて伊勢市に来てから50年経つが教え子たちはサボヤの先生という次第で ある。                                          

  200枚を越えていた年賀状も140枚ほどになった。加齢とともに行動範囲や交流関係の縮小も自然の成り行きか。「私も年をとりました。勝手ながら年賀のご挨拶今年限りとさせていただきたく・・・・。(83歳男)」 「お蔭さまで来年は米寿を迎えることになりました。自分相応の小さな幸せを目指して毎日楽しく元気に過ごしています。つきましてはこれを潮時に年賀のご挨拶を本年をもちまして失礼させて頂きたいと・・・・(86歳男)」                                  
 
 ここ数年来、賀状中止を予告するものが出始め、今年も三通あった。お三方とも優れた同輩・先輩なので、淋しくはあるがその人なりの潔い決断かと思うことにした。そんなとき、何とはなく夏目漱石の 「草枕」の一節を思い出  した                                          
 山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」          

 一方、「お互いに八十路の旅をゆっくりと一日一日を大切に歩かせていただ きましょう。」 とか 「今年は『フォト便り』をぜひ発信したいと思っています。」 とか 「私は91歳の春、頑張ります。」 とか 「言うこといっぱい、やることいっ ぱい。足が思うようについてこないのがもどかしい。」 とか、さらに 「自然体 とプラス思考でガンバリましょう。100歳まで期待しています。」 「きままだよ り をいつも楽しんでいます。」 「今年も仲良くドライブで楽しんで下さいね。」  「こ とし高齢者の仲間入りです。それにしてもきままだよりのサボヤの先生 は凄 いですね。楽しみにしています。」                           
 などの添え書きあり、人それぞれである。親しみや励ましのメッセージと受け 取り、これからも 「きままだより」 を続けられたらと思うのであります。切手シート当選7枚ありました。お礼申し上げます。                   


 きままだより 63.  2013.5  きままだより 64.  2013.5

   手のひらに太陽を

 ここ十年余り、「伊勢日赤」 と 「三重ハートセンターへ1〜3ヶ月 ごとに通院している。いくつかの大病もしたが予後のケアが適 切だったのか八十路を生き続けている。病院と細君の支えに 感謝せずばなるまいだろう。

 ところで、ハートセンターでは毎年八月十日をハートの日として 、医学話や健康チェックや演奏会などで、病院側と患者や 家族との交流イベントを開催している。ある年のこと、七十歳代のご婦人の歌唱コンサートがあった。高齢を感じさせない張りのある美声で叙情歌や童謡を独唱して喝采をあびた。聞けば当病院で心臓手術を受けて、以前と同じように歌えるようになった喜びと感謝を表現したいと出演されたそうである。とりに歌ったのが「手の平を太陽に」 だった。万来 の拍手が鳴りやまなか  った。(医師と患者のよい人間関係だと思った。)             
                 
 この歌は、漫画家の 「やなせたかし」 がスランプのとき暗い部 屋で懐中電灯の光りで透かした自分の手の平の赤い血流を見て元気を出そうと決意してできた歌だと言われている。楽しい歌ですね。         
              


  上を向いて歩こう

 
 一月十一日

 「多病息災」 を自認してきたが、八十路に入って 「逆流性食道炎」を くり返すうち、 「在宅酸素療法」 などで訪問介護のお世話になってい る。週二回の訪問看護師さんから若いパワーをもらって寝たきり にならずにいる。ありがたいことである。昨年は数回の小旅行ぐらいで、数独やテレビの歌謡番組を楽しんでいる。それでも通院や外出用に運転免許証の更新は忘れなかった。                                     

 さて、「上を向いて歩こう」 の歌は、当時有名だった 「六八九トリオ  」のヒットソングの一つだった。変な発音で歌っているな、と思いな がらよく口ずさんだものだった。今回この歌を訪問介護師といっしょに来た教育実習生の看護大学生からカードに書いて贈られた。老化や持病に負けないで 「前向きに・・・」という純な励ましの気もちを、微笑ましく、嬉しく感じたものである  。          


 「きままだより」 の名のごとく休眠しているのに、電話やはがきで、あ るいは直接心配や励ましを戴いた皆々さまに遅ればせながらお 礼申し上げます。あわせて新年のご挨拶に代えさせていただき ます。                 


2013年5月2日、柴原 勇先生の奥様よりお電話がありました。「きままだより」が途切れて一年程が過ぎどうしたものかと気にはかかっていたのですが、思いもかけない先生の訃報で3月9日に亡くなられたとのことで、「きままだより」 何号まで送ったのか判らないので未送付があれば送っていただけるとのことでした。 63号と64号を送っていただけましたのでここに掲載させていただきます。思えば 「きままだより47号」に下記のような記述がありました。              .
    

舞鶴の「引揚げ船記念館」には、シベリア抑留や引揚げについての資料が展示されている。七月十九日に舞鶴を訪ねていろいろと知ることができた。4歳上の兄(故人)が潜水母艦「長鯨」の乗組員で、終戦後に「引揚げ船」として帰還が遅れたと聞いていたが、この記念館に「長鯨」の写真を発見して、兄の話が事実だったことも確認できた。                   
                       

私は自分の趣味を生かせて旧日本海軍の潜水母艦 「長鯨」の模型を作り先生に進呈しようと、2011年12月にお宅を訪ねたのですが生憎の留守で帰ろうとしたときご家族の方が帰ってきて会うことができ、 思いもかけず先生がご病気で入院したとのことを知らされたので模型を預けた次第で、その後自分の病気や忙しさに紛れて再度訪ねることも出来ずに今日を迎えることになってしまいました。 先生は83歳だと聞いていましたが今の時代逝くにはまだ早すぎる御歳でご本人も運転免許証の更新もなされまだまだ 「きままだより」 を続ける気力も充分あったと思われ残念でなりません。 ここに先生のご冥福を祈り 絶筆となった「64号」を最後に「きままだより」を終了とさせていただきますが、このホームページを続ける間は掲載を続けさせていただきます。                                         
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2013.05.04.
2024.01.23.