029 溧陽方面の討伐
年兵は近々内地帰還するので出動はしなく、十四年五月入隊以降の兵による編成で
あり自分の所属は堀内小隊の高坂分隊である。天王寺まではトラック便で行き、そこ
から磨盤山に沿って青竜山陣地を左に見て南方へ行軍を続けた。漸くして敵陣近くの
獅子山に到着してここに陣地を築いたが、敵は早くも気がつきチェッコ機銃で乱射を
してきた。愈愈我等も始めて敵弾下での進撃であり何か恐ろしい気持ちがするが、こ
こまでくれば不思議と諦めもつき先ず高坂分隊長が先頭を切って飛び出して行った。
味方の重機関銃や歩兵砲は敵の陣地に向かって激しく援護射撃の攻撃を続け、我々
補充兵は始めての経験であり古兵の指導で発進し、日頃教えられたように敵銃声の間
隙をぬって走り続ける。背嚢には数日分の食料や予備弾薬(六十発)等を入れ、更に
初年兵は古兵の分までも余分に持たなければならず、走ると言っても重い装具で遅々
として進めない。走っては伏せて伏せては走り漸く目標の墓地に息を切らせて辿り着
くと、先に来ていた高坂分隊長は墓地の影でタバコを一服吹かしていて正に余裕シャ
クシャクである。後続の隊員の到着するのを待って全員一息入れてから、愈愈敵陣の
山に向かって進撃である。山の西北麓から登り始め中腹を斜めに進み東方山頂に向か
って攻撃を続けた。敵はしきりにチェッコ機銃を撃ち続け、やがて迫撃砲弾も飛んで
きたのに対し友軍の重機関銃と歩兵砲も援護射撃で応戦を続け、我等歩兵の頭上を弾
丸が飛んで行く。敵情はどうなっているのか我等新兵には知るべくもなく、唯分隊長
の命に従って進んで行くだけである。山が敵射撃の遮蔽になった所に進んだのか、射
撃が始まったときのような激しい敵弾は飛んで来なくなった。その中敵は退却したの
か漸く頂上を占領することが出来たが既に夜明け近くなり、自分等には情況はよくわ
からないが敵軍は相当多いらしく、敵の逆襲に備えて頂上に壕を掘らなければならな
いが、掘るための器具も少なく何でもよいから出来る限り深く掘れとの命令で、軍靴
の踵まで使って掘り続けたが土質は岩盤でありいかほども掘れなかった。
夜明け近くになり敵の反撃が始まりチェッコ機銃と迫撃砲で激しく逆襲してきて、
敵はどんな風なのかと思ってそっと頭を上げて見るも、始めてのことで敵を見付ける
事は出来なかった。夜が明けてしまい敵の大部隊の逆襲に友軍は持ちこたえられなく
なり、撤退する事になったが自分達の小隊が最後まで残り退却の援護をする事になり、
軽機関銃手平井武夫二年兵はしきりと援護射撃を続け自分は弾薬手で射手の傍に最後
までついて弾薬を補給していた。敵の反撃は一層激しくなり愈愈我等分隊も山を降り
始め、山の中腹まで降りて来ると松村中隊長と堀内小隊長が待っていて「早く降りよ」
と励ましてくれた。下山後数粁離れた部落まで来て小休止となり軽機関銃の点検をし
たところ、長時間に渡り最後まで撃ち続けたためか薬莢膠着を起こして動かなくなっ
ていた。平井二年兵は色々と故障排除を試みたが薬莢は中々取れなく、最後に大河原
兵長が槊杖を銃口より入れて槌で叩いて漸く薬莢を取り去り故障を直した。
部落の民家には直径が二米程の大甕(おおかめ)がたくさんあって中にタップリ水飴
を仕込んであり、未だ時期が早いのか味は薄かったが皆喜んで舐めた。自分はもった
いないと思い水筒に一杯詰めて携行したが、行軍の途中小休止のときに堀内小隊長は
喉が乾き、水が欲しいと言って私の水筒から飲んだところ、中身が水飴だったので
「何だこれは行軍中にこんなものを入れてはだめだ」と注意されてしまった。また別
の大甕には菜葉の漬物がたくさん漬けてあり、味が良いので一房を帯革の間に入れ歩
き乍一本宛噛んだが後で喉が乾いてきて困った。日時は覚えていないが溧陽に入り、
以前ここは五十一連隊本部も駐留していたとの事で何度も戦闘により占領したので古
兵には馴染みのところである。我等補充兵や十五年入隊の初年兵は始めてのところで
街を見周って見たが驚く程荒れ果てていて、家屋も石柱のみを残し内部はことごとく
破壊され瓦礫の山である。街外れのクリークの傍にある木造民家に宿営をしたが、降
雨のため泥水ばかりで炊爨の水が無く民家の甕に溜めてあった水で炊事をし湯を沸か
したが、どうも埃臭く我慢をして飲んだが朝になって甕の中をよく見たところ、現地
人が避難する時仕舞ってあった埃まみれの皿や丼を水甕の中に入れ、隠していったの
で水が埃臭くなっていたのだった。
討伐を終わって?陽の北へと行軍をしたが、通った道は我等にはさっぱりわからなか
ったが薜埠鎮に直通しており、他の中隊はトラック便でここからそれぞれの各駐屯地
へ帰っていった。この討伐で自分等と共に初年兵も始めて戦争らしい戦いを経験した。
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