040 函山陣地巡回診療
第七中隊が駐留している函山は金壇より南方に遠く長蕩湖を過ぎ、敵軍の基地漂陽に
近い山岳にある。巡回診療のため竹内軍医が出張するので同行し、金壇の南水門から大
隊のヤンマー船に乗って出掛けクリークを通ればすぐ長蕩湖で、ここは海と変わらない
くらい大きな湖であるが、水深は二米くらいで浅く水路を航行して行く。湖は一面に水
草が繁茂していて途中六中隊が駐留している下新河を経て行くが、この時は我々を護衛
の兵がクリークの両岸に分かれて水路付近の警戒をし乍徒歩警備をするため、船に乗っ
ている者は良いが護衛兵は中々大変である。橋の下を通過する時は部落の小輩等が集ま
って来て橋上より軍に愛嬌を振り撒いているが、こんな時は便衣隊が混じっている事が
あるので警備は特に気を付けねばならない。七中隊に到着すると遠来の軍医を招待し将
校会食があり、また新しく兵科見習士官も着任していて大変なにぎわいである。伝令の
私は何もすることがなく、通信中隊から派遣されている無線班の岡沢一等兵と懇意にな
り卓球をしたりして過した。彼は伊勢市の豆腐店の子息で自身は鳥羽の神鋼電機に勤め
ていたそうである。
山岳の各陣地ではマラリヤ等で闘病している兵がいるので、軍医は徒歩で廻り患者を
診察し投薬をし、自分は軍医の鞄を持って同行し投薬の手伝いをした。中隊の営外には
現地人慰安婦がいるので、軍医は彼女等の検診も兼ねて診療を行っている。七中隊には
同郷の柴原喜多男軍曹(ビルマで戦病死)と柴原義廣上等兵(生還)がいて、この陣地
は度々敵襲があり連隊の中でも特に危険な所である。軍医の診察が終わるとヤンマー船
便で同じ航路を一日がかりで帰隊した。
竹内軍医はたいへんな読書家で、たくさんの書籍が居室の書棚に並んでいた。また書
棚の下には慰問の品々がたくさんあり、羊羹や缶詰等食品が積まれていたが一向に食べ
る様ではなく、何時迄置いたままにしておくのかと少々気にかかった。
軍医から研究のために使うから野犬を一匹連れて来るよう言われたが、常々兵隊か
らいたずらをされている野犬は兵を見るとすぐ逃げるので、中々捕まえられず酒保で
饅頭を買い、それを餌に犬にやっても自分が近づくとすぐ逃げてしまう。色々と考え
あぐねた末、医務室で飼育している子犬を囮にして餌をやり、寄ってきた野犬なのか
飼い犬なのかわからないが、やっと一匹捕まえ縄をかけて連れて行こうとしたが、犬
はいやがり中々思うように歩いてくれない。これを見ていた現地人は何が面白いのか
手をたたき声を立てて笑っていた。犬取りだけで終わった訳でなく日曜は休日で衛生
兵は居ないので、私が手伝いをし四角な支那机に犬の手足を針金で縛り付け、動かぬ
様にして頭の毛を剃り頭蓋骨を割って、何か脳の手術らしい事をしたが無論犬は麻酔
をしてある。手術後傷口は縫合して犬はそのままにしておき、軍医は「この犬は傷が
治ってもばかになってしまう」と言っていた。翌朝早く見に行くと、どうやって針金
を抜けたのか犬は逃げてしまっていなく、どんな研究をしたのか私にはわからないが
周りは何か大変くさい臭いがしていた。竹内軍医は「もし内地帰還する事になったら
良く新聞に気を付けてくれ、医学界で発表することがあるから」と言っていたので、
脳の研究をしていたと思われる。
昭和十六年末も近くなり七中隊の柴原喜多男軍曹が初年兵受領のため、内地に帰るか
ら一度会いに来いと伝言があった。七中隊の連絡所は医務室の傍なので、その夜尋ね色
々と話をし私は今迄保管していた恩賜煙草一個を自宅に届けてくれるよう依頼をした。
大隊本部の一階に無線班の部屋があり、そこにいた古兵が「君は五中隊か名は何とい
うのか」と聞いてきた。そのあと俺も五中隊の者だと言って、どうやら挨拶に来ないの
が不満の様であった。この人は十四年末入隊した現役の福山健治一等兵であったが、ビ
ルマ戦の時モチ鉱山で私と一緒にケマピュー野戦病院への入院や、食事のこと等かかわ
りがあったが何処まで引き返したか判らない。(後の五一会報によると昭和二十年八月
二十一日病死となっている)
私は腕時計が故障し金檀の現地人時計店で修理をしたが、当座は良く動いていたが
何時の間にかまた駄目になってしまった。古兵の話では支那人は手が器用なので、時
計の石を抜いてしまって知らぬ顔をしていると聞いた。まさか隊の前の店でそんなこ
とをと思ったが、実際駄目になってしまったから止むおえず以後自分は時計無しの生
活となった。
|