057 体力鍛錬所
退院した兵は皆この体力鍛錬所に入所し毎日鍛錬のため体操、駈足、行軍及び色々
な作業を行って体力の回復に努めるのである。我々病院を退院した兵は二班に分かれ
て鍛錬に努め、揚子江沿岸の山上にある甘露寺には数回行軍をして行き、昔この寺で
安部仲麻呂が修行をし有名な歌(天の原)を詠んだところと聞かされ、軍票十銭を出
し寺僧に頼むと大きな石碑の拓本を採ってくれる。この寺から揚子江を見下ろすと眼
下には海軍警備隊があって、砲艦や掃海艇等の小型艦が数隻停泊していた。また数粁
を行軍して金山寺へも行き、ここが金山寺味噌の発祥地とかで門前に軒を並べてその
味噌を売っていた。昔、弘法大師が修行したという洞窟もあり、講堂を覗いてみると
十数名の修行僧が二列に並んで修行をしており、高僧なのか一人の老僧が棒を持って
絶えず見廻っていて 不届きな者を見つけるとすかさず肩の方をピシリと叩く。その
うちに鍮ったのか静かに退室していった僧がいた。
一班には下士官が居たが私の属した二班には下士官は居なく、私が上等兵の最古参
であったので点呼の時は班長代理を努めた。歳のいった初年兵は要領を稼ぐため私に
色々と追従をしてきて、食事の時になると古参の者は特別上段に祭り上げられ、そこ
で食事をとり真に上等兵様様で軍隊に入隊以来、こんなに神様扱いをされたのは後に
も先にもこれが始めてで、何時までもここに居られたらと誰でも思うだろうし自分も
そう思った。二月二十二日、二月分俸給二十二円五十銭が当病院で支給された。
私は、ある日突然左腹の腹痛を起こして自分で内証に持っていた六神丸を飲んだと
ころ、余計に症状が悪くなり数回嘔吐し仕方なく軍医に申し出て、診断をした担当の
軍医大尉は嘔吐もあり白血球も多いから盲腸炎だと診断し、左腹が痛いのは特異体質
で盲腸が左にあるからと屁理屈をつけ結局手術をすると決められてしまった。私は盲
腸炎ではなく嘔吐したのは六神丸を飲んだためと思うが、それを言えば病院以外の薬
を飲んだと余計ひどく叱られるに決まっているので困ってしまった。やむおえぬ事だ
が手術を受けるしかなく、しかし手術をすれば臭いで六神丸を飲んだのがすぐわかっ
てしまう。進退極まるとはこの事でホトホト困ってしまったところ、どうした事か院
が特別診察をすると言い出し「今晩まで手術は待て、そのあと様子を見てから手術だ」
と言った。私はこれでとりあえず一安心し、すると夕刻までにはあのひどい腹痛が嘘
のようにすっかり治ってしまった。軍医大尉の藪医者にはまったく呆れたもので、あ
やうく腹を切られるところであった。
三月七日、柴原楠成君と共に上等兵様様の神様扱いに未練を残し鍛錬所を退所とな
りその晩は柴原楠成君が所属する歩兵砲中隊へ行って曹長殿に宿泊を御願いし、翌日
汽車で丹陽駅に着きバスの発車時刻の関係で少し時間があったので、今は第一大隊に
勤務している竹内軍医をたずね挨拶をした。
バスで金壇に帰り連絡所で中隊本部への便を待っていたところが、薜埠鎮警備隊か
ら自分の私物を全部送って来て、第二大隊本部勤務に就くため金壇へ行くようにとの
命令であった。
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