061 呉淞(ウースン)で出発準備
八月二十七日部隊は汽車便で上海に移動して呉淞の仮設兵舎らしい数棟の建物に各
隊が宿営し、ここで輸送船の順番を待つらしく何日とも明確でないので居住に必要な
一部梱包を開き使用した。ここでは教練をする事もなく南方への準備の使役ばかりで、
それでも日曜日には外出が許され汽車便で上海市街へ出かけた。小さな駅で下車し近
くには海軍陸戦隊本部があって、ここから呉淞路や北四川路の日本人街へ兵は散って
行く。私は前に峯部隊に派遣された時に軍医の伝令で方々を歩いたため、市街の地勢
はおおよそ知っており戦友の道案内くらいは出来た。山間の辺鄙な所から都会へ出て
来た兵隊ばかりなので、なにしろ食った事も見た事もないような料理がたくさんある
のにまず驚き、また内地では食料が欠乏していると噂を聞いているが、ここではなん
でも有り到る所日本の店が立ち並び邦人も多くいて、懐かしい料理もあり内地と少し
も変わらぬようである。陸軍の慰安所は朝鮮人か現地人の慰安婦であるが、海軍慰安
所は日本人慰安婦であり何事にも海軍は陸軍より上級である。日本人街には一般遊郭
が数軒あるが兵隊どもではとても手が出だせない程の高値との噂で、山から出て来た
兵隊は何よりも食う方が第一である。
九月の始め愈愈出発も近くなったのか、九、十、十一月の三ヶ月分の俸給三百七十
五 .三元を五中隊小林利一郎曹長より一度に支給された。兵は皆喜び最後の外出で
上海の街へ繰り出し食うわ食うわ、何処の飲食店へ行っても兵隊がすし詰め状態でわ
き目も振らず食っていて、私も戦友と四名程で一団となり南呉淞路の横道にある邦人
店などをあちこちと歩いて御馳走を食って廻った。この時私は今までに食った事がな
かった玉子豆腐を始めて食って、あまりにそれが美味しかったのでおかわりの連発で
気がついたら食い過ぎて気持ちが悪くなり、表に飛び出して口に指を入れて道路並木
の根元に「ゲェ ゲェ」と吐き出してしまい、賎しいと云うかあきれる程の無茶をし
た。しかしこれから先を思うと戦地に着くまでには必ず何処かで金がいるから、そう
簡単に金を使う訳には いかないと思った。
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