110 トングー、モチ道敵進撃阻止
五月に入って漸くトングー郊外に着きトングー、モチ道五哩地点に陣地構築をする
事になったが、道路は既に友軍が敵戦車の進撃を妨害するため櫛型に掘り返してあっ
た。我等は南側の山腹ジャングル内に個人壕を掘って各々が入り防禦についたが敵は
時間を定めて砲撃を繰り返し、よくもこんなに盲撃ちをするものかと思うほど砲弾が
飛んで来るが、我等の陣地にはあまり着弾はなく殆どが後方へ飛んで行く。昼間は偵
察機が飛んでおりこれに発見されると直ぐに猛砲撃されるから少しも油断は出来ず、
ましてや煙でも出したものなら直ぐに発見されてしまう。これまでも歯がゆく思って
きたが殆ど止まっているに等しい速度で飛んでいるような敵航空機を打ち落とす対空
兵器が我が軍にはなかったのである。その内に敵戦車が数台道路に進出して来て、友
軍が苦労して掘った対戦車防禦壕も敵はブルドーザーを繰り出し僅かの間に埋め戻し
てしまい、ご丁寧にローラー車でならして平らにしその上に鉄板まで敷いてしまう。
山から見ていた我等友軍は始めて見る敵の有力な機械力に驚き呆れ唖然とするばかり
である。戦車は砲と機銃でジャングルに向かって猛烈に撃ちまくってくるが、盲撃ち
のためあまり犠牲はでない。戦車は我等の陣地の前を通り越し先方の道路上を進んで
行き、その方面の友軍を散々攻撃し夜になると戻って来て、よりによって我等が布陣
している陣地の下の道路に車座に戦車で円陣を組み中央で火を焚いて敵兵は休んでい
る。いくら攻撃をされてもこちらは手出し一つ出来ず下手に発砲でもしようものなら、
そのお返しはたまったものではなく数倍数十倍になって返ってくる。敵は白兵戦を警
戒してすぐ近くで対陣していても、我等が居るのを知ってか知らずか山へ登って来る
ことは絶対になく夜間は尚更の事で彼等は攻撃をしてこない。
防禦陣地より少し離れた谷間に水の流れる所があって、そこへ行き飯盒炊爨をする
が煙を出すと敵に知れるので、砲弾の装薬で焚き付け枯れ竹を燃やして焚くのだが雨
季なので竹も濡れて中々燃えてくれない。一度袋に入れた火薬を火に落としてしまい、
途端ボーッと火種が燃えあがったが一時的だったので敵に発見されずに済んだ。この
時は「しまった」と思い慌ててその場を離れる事にした。この辺りは竹がたくさん繁
っているので、根元を掘って未だ小さい竹の子を掘り出し塩炊きでよくおかずにした。
元から三中隊の兵であった意地の悪い八月補充兵や召集の補充下士官は、要領良く
病人となって後方へさがってしまった。この時の小隊長は甲幹の真弓貫之少尉であっ
たが、新任の少尉で戦場の事はあまりわからない。銃砲撃があってもその方向さえ判
断がつかず、我等に今のはどちらから撃ってきたのかと聞くくらいで何時も古兵を頼
りにしている。小隊長は私と森岡淳上等兵(私と同年兵)に「君達は家に妻や子供も
あるのだから危険な所へは成るべくやらないようにする」と、上手を言っていたが何
時の間にやら自分がマラリヤにかかって、軍務に堪えられなくなり入院してしまい後
ちに病院で戦病死となったそうである。
敵戦車の攻撃が頻繁で対戦車兵器も無くどうにもならず、このため対戦車攻撃班を
編成する事になり私は中隊から選ばれて、肉攻教育を受けるため一粁程離れているジ
ャングル内の連隊本部へ行き講習を受けたが、短期教育のため差し当たり必要事項に
ついて教えられ、ダイナマイトや導爆索の扱い方等ひととおりを習得し中隊に帰った。
肉攻班はダイナマイトを持って敵戦車の下に飛び込み破壊する攻撃法で、生還は期し
がたくこれはえらい役が廻ってきたぞと内心危険を感じていた。
暫時道路を下に眺め山でにらみ合いが続いたが、敵は我等の山に居る兵など気にも
していないようであった。その内移動命令が来たが本道は既に敵の占領下にあり、そ
の先まで敵でひしめいているため我々は裏山の谷間を通って漸く後退し、七哩から十
哩くらいの地点にあるジャングルに再び陣地を構築した。小隊長は松尾柳一少尉(桑
名方面の人)に替わり、ジャングル内の小山に細長い壕を掘りそこから少し下がった
斜面に天幕を張り休むようにした。敵の三連砲は一度に三発の弾丸を発射するとの事
であり敵情偵察に行った時、三連砲と思われる砲の弾薬が薬莢付きで三発が一箱に入
れて放置してあるのを見た事がある。ある日台風が来襲し砲撃音と雷鳴が交錯し、そ
れに加え大木の倒れる音等で大変であった。この辺の土地は良く肥えているため樹木
の根が浅く広く張っていて、深さがないため大風が吹くと大木でもいとも簡単に倒れ
その後は十坪程になる。敵の砲撃は相変わらず時間を定めたように昼夜を問わず撃っ
てくる。
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