きままだより 1~10
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きままだより 1

小諸なる古城の・・・・・
          
島崎藤村
柄にもなく詩歌を暗誦し、鑑賞する昨今です。佐藤春夫、若山牧水、石川啄木、
  の作品、それに 「国破れて山河あり・・・」 などの漢詩から唱歌まで。壁に張っ
たり、手紙に書いたり。一人の時は声に出して吟じます。冬篭りに相応しいもの
    と楽しんでいるのです。ぼけ封じになるかは疑わしいのですが・・・。       
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けふもまたこころの・・・・
牧水の歌に、励まされ、「・・・海辺の恋のはかなさは こぼれ松葉の火なりけむ」
 の春夫の歌にほのぼのとし、総じて知的昂揚感をちょっぴり味わっているとでもい
うのでしょうか・・・。                               .

   
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きままだより 2

北帰行

ときどき口ずさむ愛唱歌の一つです。旧制旅順高校の寮歌のようです。作詞作曲
は同校の一回生宇田博ですが、彼は女の子と会っているところを教官に見つかり
退学処分にあって、同校への訣別の歌として残したのがこの歌だったようです。  .

後年、小林旭が、北帰行として歌うようになり、誕生の秘話も判明したそうです。原
作者の宇田はその後旧制一校、東大からTBSの常務、監査を歴任していました。
どの歌にもそれぞれの秘話があり、それを知ることによって、その歌がより身近な
うたになります。                                  .

私は、この歌に流浪、哀愁、そして男の浪漫を感じて、三番まで覚え、低音で雰囲
気に浸りたいものと思いますが・・・・・。                    .

 
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きままだより 3.

古城

此処、鷲嶺 (袴腰山) の山麓では、三回もの積雪で冬篭りの日が続いています。 

  さて、前回の「きままだより2号」で「北帰行」を取り上げたのは、先日ある友人
の訃報を受けた後、この歌を口ずさんでいたからでした。彼との出会いは三十
五年前になります。 その頃の彼は欧州視察旅行に選抜され、将来を嘱望され
る中堅でした。 彼を含む何人かの仲間は仕事にも遊びにも活動的で、麻雀や
  飲み会の付き合いは絶えることなく続いていました。彼の男らしい容貌と人なつ
っこい表情は魅力的でした。 彼の魚ずきと酒の強さは人後に落ちないものでし
たが、麻雀も人付き合いも器用とは言えなかったようです。       .

宴席で三橋美智也の「古城」の替え歌で「股くら騒ぐ臍の下 せがれよひとり な
に偲ぶ・・・・」 と歌いながら銚子を股に挟んで面白い身振りの隠し芸をたった一
度だけ披露したことがありました。若き頃から鉄筋の豪邸を建てて、花壇造りの
特技を活かした色とりどりの花と二人のお嬢さんに恵まれた人生は幸せだった
と思います。                                  .

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きままだより 4.

千の風になって

「演歌は好きでなく、カラオケなんかに行ったことがない。ところが、昨年大
晦日紅白歌合戦で、すばらしい歌にめぐり会えた『千の風になって』を聴い
ていると涙が止まらない。 早速、楽器店でCDを求め、ときどき聴き、涙ぐ
んでしまう。小さな孫たちが来ると、CDを聴かせ、『おじんが好きやから覚
え、死んだら法事のとき、みんなで歌ってね』とたのんでいる。」   .


いまは亡き友への追悼に「北帰行」と「古城」の歌を紹介したところ、K氏を知る仲
間から共感の電話や葉書をいただいてほっとしました。それからしばらくして、冒
頭の 「千の風になって」 の文章を思い出したのです。昨年の県退職校長会の「生
きがい誌」に載ったK氏の短信です。そのときは何気なく読み過ごしていたのでし
ょうが、彼には体調の変化や死の予感めいたものがあったのかも知れません。 
歌ったり聴いたりする人によって、またその時の心境によって、感じ方が違うもの
だなと、思いました。                              .

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きままだより 5.

北上夜曲

昭和四十年代だったか、キャンプの夜遅く、暑さしのぎにプールへ入った。月光
で青く映える水辺で「北上夜曲」を仲間と歌ったことを思い出しました。「がんばろ
う突き上げる空に・・・」「雪の白樺並木夕陽が・・・」など労働歌やらロシヤ民謡や
ら『うたごえうんどう』が続いている時代で、みんな若かったノデスネ。      .

この歌にも誕生物語がありました。昭和三十六年、「サンデー毎日」に作者
不詳の歌として紹介されると、原作者が名乗りを上げました。水沢農学校の
菊池規と八戸中学校の安藤睦夫は、 水沢の町で偶然に出会って意気投合
しました。 昭和十六年に菊池少年の「北上川のささやき-今はなき可憐な
乙女に捧げる歌」と題した歌詞に、安藤少年が曲をつけて、名曲 「北上夜
曲」が誕生したのです。レコードに、映画に一大センセーションを巻き起こし
たということです。                            .

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 きままだより 6

やはらかに柳あをめる北上の・・・・

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 (啄木)

「北上夜曲」を読んだМ氏から、「北上川なら、石川啄木だ。」と、電話してきた。М氏
は小生の敬愛する友人の一人である。啄木のファンを自称して、八十歳を超えた今
も、啄木、牧水、吉井勇、中村草田男などの詩歌に親しみ、とりわけ啄木、牧水の短
歌暗誦を得意とする万年青年である。青雲、白雲、大空、海原、南風などの言葉を好
む若さと、愛煙家を辞めない図太さが、М氏の長寿保持の源泉かも知れない。 石川
啄木は、北上川など故郷の山川を詩情豊かに詠んだ望郷歌人として有名である。生
活苦・漂泊・病気と闘いながら平易で親しみのある秀歌を残して、二十六歳の短い生
涯で逝った。代表歌六首を味わってみてください。                .

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きままだより 7

夜霧のブルース

 夜霧のブルースといえば、Aさんを思い出す。二十年余り親しく付き合って、旅行、各種
会合をともにした。宴席やカラオケになると颯爽と登場して、「夜霧のブルース」を歌う
  Aさんだった。歌っている端正な横顔も声も、どことなくディックミネに似ていた。    .

一昨年、 思いもよらぬ彼の訃報に接した。告別式は花と音楽に飾られた明るい「お別
れ会」だった。生前の業績やプロフィールの紹介は「夜霧のブルース」のフルート演奏
下に行われた。献花の時にもディックミネのいろいろな曲が流された。Aさんにふさわ
しい粋な告別式は奥様の演出だと聞いた。                   .

それ以来、「夜霧のブルース」は、僕にとって、古い記憶(映画)と新しい思い出に繋が
る忘れ難い歌となっている。                            .

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きままだより 8.

惜別の歌

退職したとき、ワープロ、レーザーディスク(カラオケ)、ゴルフ道具を揃えた。それから
ふた昔。今では。ワープロはパソコンに、ゴルフはグランドゴルフに変わり、カラオケ
は、数年で止めてしまった。年齢や体力に応じて、興味・関心も変化していくものであ
る。最近は、「インターネット」で、いろいろな曲を聴き、歌のルーツを調べて楽しんで
いる。それが、「きままだより」の情報源にもなっている。           .

「惜別の歌」は昭和十八年、中央大学生藤江英輔によって作曲され、以後、同大の
学徒出陣兵を送る歌となっていた。昭和三十年代になって、小林旭が歌ってから広く
愛唱されるようになった。原詩は、島崎藤村の処女詩集「若菜集」の中の「高楼」で、
嫁いでゆく姉を妹が送る長詩である。                      .

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きままだより 9

故郷

定年になってから、幼なじみとの交流が復活した。近辺に住む男女数人が集まって駄弁
ったり、食事に出かけたりする。齢をとっての「回帰本能」の一つとして楽しんでいる。

昨年は、この中から話が出て、「傘寿記念同級会」が実現した。春の鳥羽湾に浮かぶ
の島が一望できるホテルを会場に決めた。県内外から十二人が集まった。 お互いの
長寿を祝して、近況報告や思い出話に盛り上がった。そして、長命の体に生み育ててくれ
た両親と故郷の自然や人に感謝する気持ちを共有した。次回は、米寿での再会を約し
て分かれた。                                       .

唱歌『故郷』は、子供から大人まで親しまれる日本人の心の原点の歌といえる。「歌い継
ぎたい日本の歌百選」のトップ
に選ばれているのも納得できることである。作詞家・高野、
作曲家・岡野の二人は、「朧月夜」「春の小川」「紅葉」「春が来た」「日の丸の歌」などの作詞
作曲の名コンビである。                                   .

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きままだより 10

影を慕いて

第十号には「古賀メロディー」と決めていた。古賀政男は「歌謡界の大御所」で、国民栄誉
賞受賞者である。 遺した名曲は五千曲。毀誉褒貶はあるが、「古賀メロディー」と呼ばれ、
多くの人々に親しまれている。代表作をあげると、丘を越えて、影を慕いて、酒は涙か溜
息か、緑の地平線、人生の並木道、人生劇場、誰か故郷を想わざる、湯の町エレジ
ー、悲しい酒、柔、男の純情、東京ラプソディー、青い背広で、ゲイシャ・ワルツ、新妻
鏡、三百六十五夜
など、 どの歌も、当時のヒットソングであり、今日まで歌い継がれてい
る。一昨年九月、津市で「明大マンドリンクラブ演奏会」があった。満員の聴衆を前に、開幕
の校歌に続いて演奏されたのは古賀メロディーだった。同クラブ創設に参画し、主将として
も活躍した古賀を讃えての定番演奏である。                       .


きままだよりへ
2011.10.01.
2024.01.27.