柴原 勇先生のきままだより
2013年よりの「柴原勇先生のきままだより」は先生からいただいた葉書の内容をそのまま
掲載していましたが、2024年日本音楽著作権協会から送信防止措置依頼を受けたため
歌曲の歌詞、作曲者名、作詞者名を削除し曲名だけの表示に変更しました。       
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きままだより 01~10 きままだより 11~20
きままだより 21~30 きままだより 31~40
きままだより 41~50 きままだより 51~60
きままだより 61~64


 柴原 勇先生は私が浜島小学校四年生のときの担任をしていただいた恩師で、南伊勢町のスコールさんのWEB上で私の「父のアルバム」を見ていただき、なんと50年ぶりの電話をいただき連絡がつき、先生の「きままだより」を毎号送っていただくようになり、ホームページを立ち上げたのを機会に先生のお許しのもと当サイトに掲載させていただきました。

 
 私の柴原先生に関する思い出として、先生は初めて浜島小学校へ転勤してきた年に担任を受け持たれたのが私たちの組だったと記憶しています。その日、私たちが初めてお目にかかる先生がどのような人だろうかと、ワイワイガヤガヤ騒いでいる教室へ入ってこられ、皆が騒ぐのを止めたのを見て 
「やっと静かになったなあ」と言われたのが最初のことばでした。

 夏休みの宿題に私はゼロ戦の空中戦の絵を提出しました (飛行機の絵を描くのが大好きだった)。その絵を見て先生の評価は 「良く描けているが今の時代は平和に成ったのだから、もうこのような飛行機は要らなくなった。」 と言い、飛行機の発展について説明してくださいました。

 もうひとつ先生の思い出で面白いのがあり、それは理科の授業で確か顕微鏡を見ていたときに適当な標本が手元に無かったため、先生はおもむろに爪楊枝か何かで自分の歯をゴシゴシ引っかいて顕微鏡にセットして皆に見せました。私は何が見えたか記憶にありませんが。小学校6年間の6人の担任の先生の中では、当ホームページの 「父のアルバム」 でも書いた学芸会の 「登場人物」 の思い出など覚えている事の多い先生でした。それゆえ先の突然の電話は私には大変な驚きでした。数え切れないほどの教え子の多い先生ですので、いちいち覚えてはいないでしょうね。

 「きままだより」 を拝見させていただくにつれ先生の人柄が偲ばれうれしくなります。傘寿を迎えられ益々のご健勝とご活躍をお祈り申し上げます。




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2012.03.21.
2024.01.27.