きままだより 11〜20
きままだよりへ


きままだより 11.

証城寺の狸囃子

・・・「きままだより」楽しく拝見しています。いつも何かを見つけて挑戦してい
く貴方の積極的な姿勢には魅せられます。そんな生き方が生命力を培い、
大病も克服したのだと思います。・・・歌は凄いですネ。 最近、九十五.歳に
なる寝たきりの斑痴呆の母が夜中に「月の砂漠」を朗々と歌ってきます。時
  には「荒城の月」、「証城寺の狸囃子」、「カムカムエブリボディー」だったりし
ます。歌詞も音程も確りしていて驚くほどです。昔の記憶が脳に染み付いて
いるのでしょう。私も二、三曲ひとりでに口ずさむ愛唱歌を持たねばと思い
ます。                        ・・・後略・・・    .

Yさんから嬉しい。貴重な便りを頂きました。歌っているお母様の脳裏には、充実
した日々の情景が、歌と共に蘇り、まさに至福の境地かと思います。愛唱歌を.持
っていたからこそですよネ、楽しいとき、苦しいとき、いつも傍にあって、喜び悲し
  み癒してくれるのが愛唱歌です。お母様が実証された「歌の力」を信じて・・・、持つ
べきものは「愛唱歌」ですね。                          .

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
きままだより 12

ああ人生に涙あり   

「ええい、静まれ、静まれイー。」「この紋所が目に入らぬかー。」「こちらにお
わす御方をどなたと心得るー恐れ多くも、前の副将軍、水戸光圀公にあらせ
られるぞー、」 「一同、御老公の御前である頭が高いー、 控えおろうー。」

  存知「テレビドラマ水戸黄門」のクライマックス場面である。1000回を超える世界
でも類のないこの番組の人気は、孝行者や忠臣を助けて、 悪人共を懲らしめて、
目出度しで終わる痛快さにあろうか。ワンパターンだから、少々耳が遠い老人にも
分かりやすく楽しめるからであろう。我が家でも、気が付けば、 (再放送も)数年前
から二人で仲良く見ていることがある。(笑)                   .

歴代の黄門役・・・東野栄治郎・西村晃・佐野浅夫・石坂浩二・里見浩太郎はそれ
ぞれの黄門さまを演じて見事である。「共の者」の、登場人物・配役が変わっても、
「由美かをる」の艶姿を見続けたいと願っているのは僕だけであるまい。主題歌
人生の応援歌になろうか。                             .

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
きままだより 13.

街のサンドイッチマン

セリフで始まる鶴田浩二の「傷だらけの人生」をおぼえていますか。左の耳へ手を
当てて歌う独特のポーズが印象的でした。                    .

「赤と黒のブルース」「好きだった」「街のサンドイッチマン」など歌うときもこのポ
ーズが出ました。「空の神兵」「加藤隼戦闘隊」「昭和維新の歌」などの軍歌を歌
うときは凛々しい軍服姿でした。でも、僕の一番の愛唱歌は「街のサンドイッチマン」
です。車を運転しながら、この歌をよく歌います。不遇や悲哀のなかにあっても明日
を夢見てゆく人にそそぐ作詞者の心を曲と歌唱が的確に表現していると感じるから
です。三者の名コンビからこの名曲が誕生したのですネ。           .

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
きままだより 14.

琵琶湖周航の歌 (三校寮歌)

「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる」

 秋の気配をそこはかとなく感ずるようになると、この歌を思い出しますが・・・。ようや
く猛暑を乗り越えてホッとしています。皆様、お変わりございませんか。さて、今回は
「寮歌」です。気分を昂揚し、若さを取り戻せるかと思います。先輩のMさんは、ああ
玉杯に花うけて・・・
とか、紅萌ゆる岡の花・・・とか、紅萌ゆる岡の花・・・とか
を娶らば才たけて
・・・を薦めます。知人のTさんは「琵琶湖周航の歌」が好きだと 
いいます。ボクも「琵琶湖哀歌」や「琵琶湖周航の歌」も、どの歌も大好きです。   .

琵琶湖周航の歌は三校ボート部の一学生が「今津」合宿の時に作ったものが、歌い
継がれてきたそうです。半世紀後の昭和四十六年に加藤登紀子が歌って大ヒットし
ました。琵琶湖の美しい自然と周航のロマンを味わいながらしみじみと歌ってみませ
んか。六番まで掲載できないのが残念です。                    .

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
きままだより 15.

星影のワルツ

千昌夫はなにかと話題の多い男である。高校二年の時、歌手を目指して岩手から上
京して、遠藤実の 「押しかけ内弟子」 になった。修行の甲斐あって
「星影のワルツ」
「北国の春」
などのヒット曲で歌手として名をなした。その後、ホテル王、借金王、二
度目も金髪のお嫁さん等々・・・。近頃は額のホクロを消して開運を期して、歌ってい
るようである。                                     .


ところで、『星影のワルツ』といえば「還暦旅行」を思い出す。もう二十年も前になる
が、 小学校の同級生で、貸し切りバスで甲州方面へ旅行した。 昭和三年生まれで、
戦中戦後の苦しい時代に育ち、バブル期に定年を迎えた面々である。大名旅行のご
とくもりあがった。帰途、県外からの参加者と別れる名古屋駅前が近づいたバスの中
で誰かが歌いだした 「星影のワルツ」が大合唱となり、泪を流して何回も繰り返し歌っ
た光景が忘れられない。 このとき集まった三十数人も「傘寿」のときには十二名だけ
の集まりになった。                                 .


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 きままだより 16.

アザミの歌

「あざみの歌」
 は終戦の年、復員してきた横井弘(当時十八歳後の作詞家)が疎開
先で、高原に咲くアザミの花に理想の女性像をダブらせて作ったとされている。八州
秀章の作曲と伊藤久男の歌唱でヒットした。昭和二十五年にラジオ歌謡として放送さ
れてから叙情歌の名曲として広く愛唱されてきた。山男たちにも山の歌として人気が
あると聞く。                                     .

元同僚のTさんは真冬でも体育の時間だけでなく、一日中短パンで過ごす元気者だ
った。その頃には珍しい「缶入りの両切りピース」の愛煙家で、コーヒー党でもあった。
また、酒席ともなれば、彼の前には銚子が林立する酒豪でもあった。武骨ともみえる
彼が二次会で歌うのが「あざみの歌」や「青葉城恋歌」だった。教頭に昇進し、いよい
よ学校経営に手腕発揮というとき病魔に侵され、 あっというまに鬼籍に入ってしまわ
れた。 (合掌)                                  .


あれから十数年過ぎたが、アザミの歌を聴くと、太く短く、自分流の人生を闊歩して、.
逝ったTさんを思い出す。以来、人生を長さだけでなく、いかに充実して生きたか、.
とも考えるようになった。                              .

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
きままだより 17.

青い山脈   

 「義理人情型」「異端児」「不死身」「ロマンチスト」など、ボクにはいくつかの顔があるら
  しい。裏返していうなれば「しっかりした現実型」ではないと言うことでしょうか・・・?。
そんなボクに六十歳を過ぎて、「みえ長寿大学卒業生」という顔がもう一つ増えた。 .

みえ長寿大学卒業(第七期伊勢教室)卒業生五十四人の仲間が 「七草会」 を結成し
て、 ボランティア活動やスポーツ、旅行などを楽しんで十年余りになる。近頃は高貴
高齢になって活動の範囲も減ったが、離れがたい仲間で、大切な宝物だと思ってい
  る。「前向き」なところが仲間の共通点であろうか。総会では「七草会の歌」を歌うが、.
親睦会では、「青い山脈」か多く歌
われる。                   .

「青い山脈」
は「りんごの歌」とともに、敗戦後の暗い世相に明るさと、軍国主義から
の開放感を謳歌する歌として、当時、爆発的にヒットした。その時、将に思春期、青
春期を迎えたのが我々世代だったのだ。「青い山脈」こそ 「七草会の青春」 であり、
活力の源泉であろうか。                              .



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
きままだより 18

野菊

伊勢時の秋の風物詩の一つに「全日本大学駅伝」がある。熱田神宮から伊勢
神宮までの8区間106.8キロに26チームが参加する。伊勢市内で生で見る
ことができるスポーツの最大イベントである。私ども夫婦は毎年「度会橋」で各
校の最終ランナーの一人ひとりを大声で応援し、楽しんでいる。一昨年は我が
母校(明治)も初めて出場した。校友会から連絡を受けて内宮前のゴールへ行っ
た。 ゴール付近は各大学の応援団・ チアガールで華やかな応援合戦が繰り広
げられていた。優勝ランナーがゴールすると花火が秋空に響き渡りクライマック
スに達した。今年も十一月二日、母校のチームをゴールで応援する事ができた。

さて、今回は懐かしい童謡・唱歌にしました。「紅葉、赤とんぼ、里の秋、小さい
秋みつけた」など秋の歌に名曲は多いが、あえて「野菊」を選びました。駅伝を
話題にしたので、この歌がいいかなと思いました。美しい日本の風景をやさしい
ことばで綴った詩情ゆたすな中に凛としたものを感ずるからです。散歩していて
路傍に咲く野紺菊を見かけると、しぜんにこの歌を口ずさむことがあります。厳
しいあの戦時中にこんなすばらしい歌ができたのも驚きですね。       .

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
きままだより 19.

里の秋

「・・・私の学芸会で一番思い出にあるのは・・・四年生のとき「サボヤ」の柴原勇
先生のもとで演じた「登場人物」と云う題名の劇で、私は劇中最初の場面で谷水
栄さんと二人で江戸からアメリカまで宝物を運んできた駕籠かきを演じたもので・
・・結構観客にはうけて爆笑の連続でした。四十五年も前の思い出です。     .
(2003・12・30 父のアルバム 
80 投稿人・井上 桑名人)

先日、倅に言われるままに、「柴原勇」で検索したブログの文面です。自分のこと
がブログに出ているのに、 驚きました。投稿者は昭和三十二年に担任した四年
生の「憲弥君」(六十一歳)だったのです。インターネットのお蔭で半世紀ぶりに何
人かの教え子との交流が復活しています。                  .

数日後、彼から「里の秋を聞き乍-歩兵第五十一連隊一補充兵 中支からビルマ
への戦陣の回顧」柴原広弥(著)井上憲弥(編集)
 の単行本が送られてきました。
父の遺稿と写真を編集した彼の力作です。ぜひ一読をお勧めしたい一冊です。  .

彼の父が六年間の戦陣かに奇跡的に生還、復員したとき浦賀港で聞いた歌が
  「里の秋」だったのです。「・・・ああ父さんよご無事でと、のところでは、胸にこみ
   上げてくるものがあり・・・」
と記しています。「里の秋」は復員兵を迎える歌として、.
  放送されてから、その後も名曲として親しまれ、愛唱されています。        .


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
きままだより 20

くちなしの花

俳優 渡 哲也が昭和四十九年のNHK紅白歌合戦に初出場した。山川静夫アナの
軽妙な司会と大原麗子からの花束と「アガラナイ デ ウタッテネ」 の優しい言葉
に贈られて、歌ったのが名曲「くちなしの花」だった。「テツガ デタラ シログミノ
カチマチガイなし・・・」
と、ハワイで療養中の石原裕次郎からの電文も披露された。

「みちづれ」「水割り」「日暮れ坂」など彼の歌は気張らないで、さり気なく歌うのが
   相応しいようである。そんなところが好きでボクも「くちなしの花」や「水割り」をよく歌
ったものである。世の中の男たちの多くもこんなところを好んで歌うのではないだろう
か・・・。ある親戚の結婚披露宴で、新婦側の代表で歌わされたことがある。予期し
ていなかったので、とっさに歌いなれた「くちなしの花」を歌って済ませた。自席に戻
ってから結婚式にふさわしくない歌詞だと気付いて後悔したことがあった。それから
数年、愛児にも恵まれて幸せそうなお二人を見て内心ほっとしたものである。   .


きままだよりへ
2011.10.01.
2024.01.27.