きままだより 11. | きままだより 12 | |
証城寺の狸囃子 ・・・「きままだより」楽しく拝見しています。いつも何 かを見つけて挑戦していく貴方の積極的な姿勢には魅せられ ます。そんな生き方が生命力を培い、大病も克服したのだと 思います。・・・歌は凄いですネ。最近、九十五歳になる寝 たきりの斑痴呆の母が夜中に「月の砂漠」を朗々と歌ってき ます。時には「荒城の月」、「証城寺の狸囃子」、「カムカ ムエブリボディー」だったりします。歌詞も音程も確りして いて驚くほどです。昔の記憶が脳に染み付いているのでしょ う。私も二、三曲ひとりでに口ずさむ愛唱歌を持たねばと思 います。 ・・・後略・・・ Yさんから嬉しい。貴重な便りを頂きました。歌っているお母 様の脳裏には、充実した日々の情景が、歌と共に蘇り、まさに至 福の境地かと思います。愛唱歌を持っていたからこそですよネ、 楽しいとき、苦しいとき、いつも傍にあって、喜び悲しみ癒して くれるのが愛唱歌です。お母様が実証された「歌の力」を信じて ・・・、持つべきものは「愛唱歌」ですね。 |
ああ人生に涙あり 「ええい、静まれ、静まれイー。」「この紋所が目に入 らぬかー。」「こちらにおわす御方をどなたと心得るー恐 れ多くも、前の副将軍、水戸光圀公にあらせられるぞー、」 「一同、御老公の御前である頭が高いー、控えおろうー。」 ご存知「テレビドラマ水戸黄門」のクライマックス場面である。 1000回を超える世界でも類のないこの番組の人気は、孝行 者や忠臣を助けて、悪人共を懲らしめて、目出度しで終わる痛 快さにあろうか。ワンパターンだから、少々耳が遠い老人にも 分かりやすく楽しめるからであろう。我が家でも、気が付けば、 (再放送も)数年前から二人で仲良く見ていることがある。(笑) 歴代の黄門役・・・東野栄治郎・西村晃・佐野浅夫・石坂浩 二・里見浩太郎はそれぞれの黄門さまを演じて見事である。 「共の者」の、登場人物・配役が変わっても、「由美かをる」 の艶姿を見続けたいと願っているのは僕だけであるまい。主題 歌は人生の応援歌になろうか。 |
きままだより 13. | きままだより 14. | |
街のサンドイッチマン セリフで始まる鶴田浩二の「傷だらけの人生」をおぼえていますか。 左の耳へ手を当てて歌う独特のポーズが印象的でした。 「赤と黒のブルース」「好きだった」「街のサンドイッチ マン」など歌うときもこのポーズが出ました。「空の神兵」 「加藤隼戦闘隊」「昭和維新の歌」などの軍歌を歌うときは凛 々しい軍服姿でした。でも、僕の一番の愛唱歌は「街のサンドイ ッチマン」です。車を運転しながら、この歌をよく歌います。不 遇や悲哀のなかにあっても明日を夢見てゆく人にそそぐ作詞者の 心を曲と歌唱が的確に表現していると感じるからです。三者の名 コンビからこの名曲が誕生したのですネ。 |
琵琶湖周航の歌 (三校寮歌) 「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚か れぬる」 秋の気配をそこはかとなく感ずるようになると、この歌を 思い出しますが・・・。ようやく猛暑を乗り越えてホッとし ています。皆様、お変わりございませんか。さて、今回は 「寮歌」です。気分を昂揚し、若さを取り戻せるかと思いま す。先輩のMさんは、ああ玉杯に花うけて・・・とか、紅 萌ゆる岡の花・・・とか、紅萌ゆる岡の花・・・とか、 妻を娶らば才たけて・・・を薦めます。知人のTさんは「琵 琶湖周航の歌」が好きだといいます。ボクも「琵琶湖哀歌」 や「琵琶湖周航の歌」も、どの歌も大好きです。 琵琶湖周航の歌は三校ボート部の一学生が「今津」合宿の 時に作ったものが、歌い継がれてきたそうです。半世紀後の 昭和四十六年に加藤登紀子が歌って大ヒットしました。琵琶 湖の美しい自然と周航のロマンを味わいながらしみじみと歌 ってみませんか。六番まで掲載できないのが残念です。 |
きままだより 15. | きままだより 16. | |
星影のワルツ 千昌夫はなにかと話題の多い男である。高校二年の時、歌手 を目指して岩手から上京して、遠藤実の「押しかけ内弟子」に なった。修行の甲斐あって「星影のワルツ」「北国の春」な どのヒット曲で歌手として名をなした。その後、ホテル王、借 金王、二度目も金髪のお嫁さん等々・・・。 近頃は額のホクロを消して開運を期して、歌っているようである。 ところで、『星影のワルツ』といえば「還暦旅行」を思い 出す。もう二十年も前になるが、小学校の同級生で、貸し切り バスで甲州方面へ旅行した。昭和三年生まれで、戦中戦後の苦 しい時代に育ち、バブル期に定年を迎えた面々である。大名旅 行のごとくもりあがった。帰途、県外からの参加者と別れる名 古屋駅前が近づいたバスの中で誰かが歌いだした「星影のワル ツ」が大合唱となり、泪を流して何回も繰り返し歌った光景が 忘れられない。このとき集まった三十数人も「傘寿」のときに は十二名だけの集まりになった。 |
アザミの歌 「あざみの歌」 は終戦の年、復員してきた横井弘(当 時十八歳後の作詞家)が疎開先で、高原に咲くアザミの花 に理想の女性像をダブらせて作ったとされている。八州 秀章の作曲と伊藤久男の歌唱でヒットした。昭和二十五年 にラジオ歌謡として放送されてから叙情歌の名曲として広 く愛唱されてきた。山男たちにも山の歌として人気がある と聞く。 元同僚のTさんは真冬でも体育の時間だけでなく、一日 中短パンで過ごす元気者だった。その頃には珍しい「缶入り の両切りピース」の愛煙家で、コーヒー党でもあった。また、 酒席ともなれば、彼の前には銚子が林立する酒豪でもあった。 武骨ともみえる彼が二次会で歌うのが「あざみの歌」や「青 葉城恋歌」だった。教頭に昇進し、いよいよ学校経営に手腕 発揮というとき病魔に侵され、あっというまに鬼籍に入って しまわれた。 (合掌) あれから十数年過ぎたが、アザミの歌を聴くと、太く短く、 自分流の人生を闊歩して、逝ったTさんを思い出す。以来、 人生を長さだけでなく、いかに充実して生きたか、とも 考えるようになった。 |
きままだより 17. | きままだより 18. | |
青い山脈 「義理人情型」「異端児」「不死身」「ロマンチスト」など、 ボクにはいくつかの顔があるらしい。裏返していうなれば「しっ かりした現実型」ではないと言うことでしょうか・・・?。そん なボクに六十歳を過ぎて、「みえ長寿大学卒業生」という顔がも う一つ増えた。 みえ長寿大学卒業(第七期伊勢教室)卒業生五十四人の仲間が「七 草会」を結成して、ボランティア活動やスポーツ、旅行などを楽 しんで十年余りになる。近頃は高貴高齢になって活動の範囲も減 ったが、離れがたい仲間で、大切な宝物だと思っている。「前向 き」なところが仲間の共通点であろうか。総会では「七草会の歌」 を歌うが、親睦会では、「青い山脈」か多く歌われる。 「青い山脈」は「りんごの歌」とともに、敗戦後の暗い世相 に明るさと、軍国主義からの開放感を謳歌する歌として、当時、 爆発的にヒットした。その時、将に思春期、青春期を迎えたのが 我々世代だったのだ。「青い山脈」こそ「七草会の青春」であり、 活力の源泉であろうか。 |
野菊 伊勢時の秋の風物詩の一つに「全日本大学駅伝」がある。 熱田神宮から伊勢神宮までの8区間106.8キロに26 チームが参加する。伊勢市内で生で見ることができるスポ ーツの最大イベントである。私ども夫婦は毎年「度会橋」 で各校の最終ランナーの一人ひとりを大声で応援し、楽し んでいる。一昨年は我が母校(明治)も初めて出場した。校 友会から連絡を受けて内宮前のゴールへ行った。ゴール付 近は各大学の応援団・チアガールで華やかな応援合戦が繰 り広げられていた。優勝ランナーがゴールすると花火が秋 空に響き渡りクライマックスに達した。今年も十一月二日、 母校のチームをゴールで応援する事ができた。 さて、今回は懐かしい童謡・唱歌にしました。「紅葉、 赤とんぼ、里の秋、小さい秋みつけた」など秋の歌に名曲 は多いが、あえて「野菊」を選びました。駅伝を話題にし たので、この歌がいいかなと思いました。美しい日本の風 景をやさしいことばで綴った詩情ゆたすな中に凛としたも のを感ずるからです。散歩していて路傍に咲く野紺菊を見 かけると、しぜんにこの歌を口ずさむことがあります。厳 しいあの戦時中にこんなすばらしい歌ができたのも驚きで すね。 |
きままだより 19. | きままだより 20. | |
里の秋 「・・・私の学芸会で一番思い出にあるのは・・・四年生 のとき「サボヤ」の柴原勇先生のもとで演じた「登場人物」 と云う題名の劇で、私は劇中最初の場面で谷水栄さんと二人 で江戸からアメリカまで宝物を運んできた駕籠かきを演じた もので・・・結構観客にはうけて爆笑の連続でした。四十五 年も前の思い出です。(2003・12・30 父のアルバム 80 投稿人・井上 桑名人) 先日、倅に言われるままに、「柴原勇」で検索したブログ の文面です。自分のことがブログに出ているのに、驚きまし た。投稿者は昭和三十二年に担任した四年生の「憲弥君」(六 十一歳)だったのです。インターネットのお蔭で半世紀ぶりに 何人かの教え子との交流が復活しています。 数日後、彼から「里の秋を聞き乍-歩兵第五十一連隊一補 充兵 中支からビルマへの戦陣の回顧」柴原広弥(著) 井上 憲弥(編集) の単行本が送られてきました。父の遺稿と写真 を編集した彼の力作です。ぜひ一読をお勧めしたい一冊です。 彼の父が六年間の戦陣かに奇跡的に生還、復員したとき浦 賀港で聞いた歌が「里の秋」だったのです。「・・・ああ父 さんよご無事でと、のところでは、胸にこみ上げてくるもの があり・・・」と記しています。「里の秋」は復員兵を迎え る歌として、放送されてから、その後も名曲として親しまれ、 愛唱されています。 |
くちなしの花 俳優 渡 哲也が昭和四十九年のNHK紅白歌合戦に初出場 した。山川静夫アナの軽妙な司会と大原麗子からの花束と「ア ガラナイ デ ウタッテネ」 の優しい言葉に贈られて、歌っ たのが名曲「くちなしの花」だった。 「テツガ デタラ シログミノ カチマチガイなし・・・」 と、ハワイで療養中の石原裕次郎からの電文も披露された。 「みちづれ」「水割り」「日暮れ坂」など彼の歌は気張ら ないで、さり気なく歌うのが相応しいようである。そんなとこ ろが好きでボクも「くちなしの花」や「水割り」をよく歌った ものである。世の中の男たちの多くもこんなところを好んで歌 うのではないだろうか・・・。 ある親戚の結婚披露宴で、新婦側の代表で歌わされたことが ある。予期していなかったので、とっさに歌いなれた「くちな しの花」を歌って済ませた。自席に戻ってから結婚式にふさわ しくない歌詞だと気付いて後悔したことがあった。それから数 年、愛児にも恵まれて幸せそうなお二人を見て内心ほっとした ものである。 |