きままだより 21~30
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きままだより 21.

明けましておめでとうございます ことしもお元気で・・・

なにごとの おはしますかは しらねども    .
かたじけなさに 涙こぼるる        西行

元日や 冥土の旅の 一里塚          .
めでたくもあり めでたくもなし       一休

正月や よき旅をして 海を見る    碧悟桐

元日や 何のおもひも なかりけり   しん楼

めでたさも ちゅうくらいなり おらが春  一茶

めでためでたの 若松さまよ          .
枝も栄えて 葉も茂る            .
平成二十一年  元旦

年頭にあたり、正月らしい句歌を並べてみました。共感できるものがあるでしょうか。伊勢市
に住んで四十五年、正月には外宮内宮へお参りします。 西行さんほどの心情にはなれませ
んが、神宮独特の荘厳さに浸り、すがすがしい気持ちをいただきます。          .

齢のせいか近頃は、冥途の旅の一里塚も、間隔が小さくなったようですが、「気ままだより」
をライフワーク(笑)に、「日々是好日」を願っているのであります。            .

「これがまあ終の栖か雪五尺」厳しい江戸の暮らしをきりあげて、故郷にもどった一茶のほ
っとした心境でしょうか。「ちゅうくらいのめでたさ」がいいですネ。           .

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きままだより 22.

雪の降る町を

・・・きままだより第九号を見て、 忘れかけていたわが故郷を思い出しました。私の
実家は新潟県十日町です。 いつも JR飯山線(長野駅~越後川口駅)で帰ります。
  その途中に「替佐」という駅があります。 列車が停まると、
兎追いしかの山・・・の
音楽が流れます。 作詞家高野辰之の生誕地です。 山あり川ありの、ありふれた田
舎の風景です。 小さな田んぼ、畑道、所々にリンゴ畑が点在しています。春には白
い花、秋には真っ赤なリンゴが駅のホームを飾ります。眼下を蛇行しながら流れる
千曲川 (後に信濃川) に沿って帰ります。故郷は年々遠くなってきましたが、懐かし
い思いを忘れることはありません。「志をはたしていつの日にか帰らん」私はこの歌
詞をいつも心に抱いていました。すでに父母は無く、かなわぬ志であったかもしれま
せんが『故郷』の歌は、私の心の励ましの歌でもありました。          .


玉城町に在住の、十年来の友人Mさんからの嬉しい返信です。
彼の実直な人柄やルーツを改めて知ることができました。「十日町」
「雪の降る町を」思い出しました。 しんしんと心にみてくる、素晴らし
い歌ですね。                           .

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きままだより 23.

昭和維新の歌
  
「軍歌をとりあげよ」と何人かの先輩から勧められるが、躊躇していた。酒席などで蛮声
を張り上げて合唱するのは好きでなかったからである。だが、僕自身、昭和3年生まれの
「戦時少年」だったから軍歌の記憶は消えることなく残っている。 軍国主義や皇威発揚の
軍歌は嫌いだが、好きな軍歌はいくつかあるのも事実で、口ずさむことも多い。 リズムの
いいもの、叙情的なもの、歴史的なもの、挽歌のような哀愁を感ずるもの- b「空の神兵」
「予科練の歌」「梅と兵隊」「麦と兵隊」「加藤隼戦闘隊」「広瀬中佐」「水師営の会見」
「戦友」-
などである。                                  .

先輩のОさんは終戦の時にいた鹿児島で、故郷へ復員するまでの期間軍歌ばかり歌っ
ていたという。そして、「昭和維新の歌」が忘れられないともいう。この歌の作者・三上 卓
は海少尉で2・26事件、5・15事件の首謀者の一人である。当時の世の中を憂えて悲憤
慷慨して、中国の故事を入れ、格調高く歌い上げている。 (右翼と結びついて決起・暴走し
たのが惜しまれる) 寮歌にも似た雄壮な曲で、十番までの長詩である。軍隊生活を挟んで
戦中戦後の6年間を明大に在籍し、スポーツ系だったОさんに相応しい歌かも知れない。
(ぼくの愛唱歌でもある。) 今の日本も政治不信・経済失速・偽装問題・凶悪犯罪多発など
悲憤慷慨すべき時代だと思うが・・・。                          .

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 きままだより 24.

南国土佐を後にして
 
「難聴者には前列の席を」 と聞いて、伊勢演劇鑑賞会に再入会して一年余りになる。前回
 の公演は「詩人の恋」、今回は「サウンドオブミュージック」(劇団スイセイミュージカル)と、続
いて音楽劇を楽しんだ。お目当ての「ペギー葉山」は、期待通りの演技と張りのある歌声
で観客を魅了した。 七十五歳と聞いて驚いた。次回は文学座の「初雷」、その次が大好き
 な藤沢周平原作の「三屋清左衛門残日録(夕映えの人・俳優座)」などで、わくわくしている。

さて。ペギー葉山には「ドレミの歌」「学生時代」などあるが、いちばんはなんといっても「南国
土佐を後にして」であろう。高知県あたりで歌い継がれていた「よさこい節」を「武政英策」がリ
ニューアルして、独自の現代的な「民謡・南国土佐を後にして」を創ったといえる。昭和30年
代の高度経済成長期の幕開けにペギー葉山の明るい声がマッチして、爆発的なヒット曲に
  なったといわれる。また、ご当地ソングの草分けになったともいわれている。いい歌ですね。

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きままだより 25.

おさななじみ
   

「幼なじみ」をリクエストされたのは、長寿大学で親しくなったRさんです。彼女は先日もある
会合でこの歌を歌ったそうです。現実にはこんな幼なじみはなかったが、好きな歌ですと、少
しテレながら言うのでした。ほのぼのとする懐かしい歌ですね。中村八大を偲び、デューク・
エイセスを思い浮かべて歌ってみませんか。                        ..


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きままだより 26.

平城山

去る3月29日、橿原市、明日香村方面を訪ねた。                     .

① 今井町・・・重要伝統的建造物群保存地区に指定された東西600㍍、南北310㍍に、
江戸時代の商人町の姿を残す有名な町。町をひとめぐりし、公開の屋敷も見て楽しんだ。 .

② 石舞台古墳と酒船石遺構、亀型石造群遺跡・・・大和の国には古代の謎を秘める遺
跡が多いことを実感した。(此処では、偶然お会いした俳優・児玉清さんから「写しましょうか」
と声をかけられ、お付の青年がシャッターを押してくれる嬉しいハプニングもあった。)  .

③ 橘寺・・・聖徳太子ゆかりの寺で、境内に建つ「二面石」も有名である。           .

④ 藤原京跡資料館を見たあと、帰途で見かけて立ち寄った 「箸墓古墳」「崇神天皇
陵」
・・・思いがけなく、有名な古墳を始めて見る幸運に恵まれた。 堤に登り、深緑の水濠に
囲まれた壮大な前方後円墳を暫く、時の経つのも忘れて見ていた。            .

『平城山』は情熱の歌人・北見志保子が「磐之媛陵」をテーマに詠んだ短歌である。平井康三
郎によって名曲になった。古代の雅を感じさせる歌詞と調べをゆっくりと鑑賞してはいかがか
な。磐之媛の物語や北見志保子の恋の軌跡を読んでみるのも楽しいですぞ・・・。    .

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きままだより 27.


 
「声を出して読みたい日本語・斉藤孝著」がベストセラーになったことがある。「・・・歴史
の中で吟味され生き抜いてきた名文、名文句を声に出して読み上げてみると、そのリ
ズムやテンポのよさが身体に染み込んでくる。 そして身体に活力を与える。それは、
たとえしみじみしたものであっても、心の力につながってくる。」
と、暗誦文化の大切さを
説き、例文を挙げて、暗誦・朗詠の復活を提唱をしている。                .

この本に出会ってから、遊びのつもりで暗誦を始めて、数年になる。「寿限無」(落語)、「般
若心経」、「祇園精舎の鐘の声」(平家物語)、「知らざあ言って聞かせやしょう」(白波五
人男)、「ゆく河の流れは絶えずして」(方丈記)、「月日は百代の過客にして」(奥の細道
)、「春はあけぼのようよう白くなりゆく山ぎわ」(枕草子)、
などいくつかをモノにして朗詠を
楽しんでいる。                                         .

例文の中には、「しみじみ味わう」「季節・情景を肌で感じる」「リズム・テンポに乗る」歌として、
荒城の月、花、黄金虫、揺藍のうたなど
もあげている。今回は、古典主義的な美文の「花」
をとりあげた。声に出して、「季節・情景を肌で感じながら」歌って見ませんか。・・・   .

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きままだより 28.

広瀬中佐

「軍歌・昭和維新の歌」は知らない人が多かったが、戦後生まれのHさんが知っていたのには
驚いた。ギターの練習曲にあったと聴いてまたびっくり。ところで、友人のМさんは古い軍歌
の切り抜き帖を大事にしていて、時々取り出しては歌っていると言う。K女史も軍歌が大好き
で、CDでよく聴いていると言う。 「アッツ島玉砕の歌」が忘れられないとも言う。軍歌を好きに
なった動機は様々のようだが、 いまでも軍歌を愛唱する人はけっこう居ることを知った。「暁
に祈る」「露営の歌」「同期の桜」「ラバウル小唄」「麦と兵隊」など愛好する人が多いようである。
僕は「廣瀬中佐」「戦友」「抜刀隊」「出師営の会見」などか好きである。明治調の歌詞と物語的
なところが懐かしい。                                     .

生涯を独身で軍務に精励し、柔道に励み、堅物で軍人の鑑と讃えられた廣瀬中佐にも、文通
を続けたロシヤ女性があったことが判明したり、杉野兵曹長は敵弾で船外へ投げ出され、漂
流中にロシヤ側に救助されて、シベリヤで生存していたと騒がれたことなどに親しみを覚えた
り、判官びいきらしい架空の話にも興味を感じたものである。              .

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きままだより 29.

風蕭蕭と

数年前、演歌になじまないMさんが、気に入った唄があると言っていた。「風蕭蕭と」だった。
男の浪漫を感じさる歌詞と渡哲也の歌唱に惹かれて、ぼくも口ずさむようになった。「4匹の
用心棒」の主題歌
だったとは、後になって知った。                    

最近、インターネットで「風蕭蕭として易水寒し 壮士ひとたび去ってまた還らず」という詩に出
くわした。中国の春秋時代、腕利きの刺客が、勝算なき使命を帯びて、「易水」を発つときに、
この詩を吟じたという。中国の故事を「4匹の用心棒」に活かしたのが作詞者・水木かおる(二
学舎出身)らしいかも。                                    .

メロディーし知らなくても「風 しょうしょうと 吹きわたり砂塵をまいて夢がまう 男心を・・・」
と朗詠する楽しみ方もある。木枯し紋次郎か西部劇か、 それとも用心棒か、未知の土地へ
去ってゆく男の後姿がうかんでくるかも知れない・・・。                   .

三月初め、Mさんは仲間に知らせないまま転居していた。 「肩でさらばを告げながら 行くは
何処ぞ誰も知らない」と言う歌詞その侭を演じたのであろうか。それとも「老兵は死なず た
だ消え去るのみ」
と思ってのことだったのだろうか・・・。                .

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きままだより 30.

われは海の子

平成8年に制定された「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ことを
趣旨とする国民の祝日は・・・?
 答えは「海の日」です。「海の日」という祝日があるのは、
世界中で唯一日本だけだそうですネ。                          .

定年後の20年間は毎日が日曜日だった僕は、海の日が「ハッピーマンデー」の「7月の第3
月曜日」ということも曖昧でした。海辺に生まれ育ち、海辺の学校に十四年間勤めたこともあ
るのだから、「海の日」にも関心をもたなきゃと、あらためて思ったところです。     .

さっそくですが、「海の歌」です。「海洋政策研究財団」が平成13年に行った「21世紀に残し
たい海の歌」
というアンケートの結果は、1位「うみ」、 2位「我は海の子」、3位「チャコの
海岸物語」、4位「浜辺の歌」、5位「TSUNAМI」
となっています。老年が1・2・4の文部省
唱歌、若者が3・5のサザンオールスターズの歌を選んだのでしょうか。 あなたはいかがです
かな。僕らの世代では断然「我は海の子」でしょう。浜千鳥、椰子の実、太平洋なども・・・  


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2011.10.01.
2024.01.27.